日本歴史地名大系 「植木野村」の解説 植木野村うえきのむら 群馬県:太田市植木野村[現在地名]太田市植木野・東新町(ひがししんまち)・矢場新町(やばしんまち)上小林(かみこばやし)村の東に位置し、西境を韮(にら)川が南流する。北は市場(いちば)村、南は矢場村、東は大町(おおまち)村(現栃木県足利市)。寛文郷帳では田方四七六石余・畑方五六六石余、館林藩領。天和二年(一六八二)の分郷配当帳によれば旗本近藤・松平・溝口領の三給。このうち溝口(安勝)領は、溝口友勝の代、元禄元年(一六八八)に当村、上久方(かみひさかた)村(現桐生市)の分郷配当によって得た山田郡の采地を弟常勝に分ち、勝政の代、元文二年(一七三七)に采地を改めて廩米を賜ったことにより代官の当分御預所となる(寛政重修諸家譜)。 植木野村うえきのむら 兵庫県:宍粟郡安富町植木野村[現在地名]安富町植木野安志(あんじ)村の南に位置し、南は下(しも)村。集落は南流する安志川(現林田川)東岸の山麓部にあり、同川に近い平地に一部が立地する。対岸黒(くろ)山は急な岩山となって川に落込んでいるため通行不能で、因幡国への道は当村の南北で川を渡り村内を通った(明治四年「植木野高反別明細帳」土居家文書)。江戸時代前期には上野(うえの)村と称された。慶長国絵図に上野村とみえる。領主の変遷は延宝七年(一六七九)まで安志村と同じ。同年から幕末まで塩野(しおの)村と同じ。正保郷帳では「安志ノ上野村」とみえ、田方二二七石余・畠方五九石余。元禄郷帳では植木野村とみえ、「古ハ上野村」と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by