植村覚左衛門(読み)うえむら・かくざえもん

朝日日本歴史人物事典 「植村覚左衛門」の解説

植村覚左衛門

没年:文政5.10.24(1822.12.7)
生年:元文4(1739)
江戸後期の越後国(新潟県)長岡藩,栃堀村の割元(庄屋)。名は貴渡。栃尾紬生産の発展に寄与した。縞紬の創始者大崎オヨから技術を学び(一説には覚左衛門自身が創始者),自宅近くの作業場で村人への縞紬の織布,染色技術の講習,普及を計った。その動機天明3(1783)年の大飢饉によって疲弊した村落経済の立て直しにあったといわれる。栃尾地方一帯に普及した縞紬生産を背景に,縞紬商人として販売活動にも携わり,その死去後も幕末に至るまで,植村家は縞紬生産者,商人として栃尾町の縞紬仲買に対して,大きな影響力を保持し続けた。<参考文献>今泉省三『長岡歴史』3巻

(谷本雅之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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