植民地の教授言語(読み)しょくみんちのきょうじゅげんご(その他表記)colonial languages of instruction

大学事典 「植民地の教授言語」の解説

植民地の教授言語
しょくみんちのきょうじゅげんご
colonial languages of instruction

大学の移植も伴った欧州諸国によるアジア,ラテンアメリカアフリカ等の植民地化は,16世紀以降に進行した。植民地での大学の教授言語(教育言語)は,大方は宗主国の言語に収束した。しかし植民地化が生じた時代,また宗主国内での大学の進展段階,植民地側の文化背景,宗主国の植民地政策等に対応して,一時的にせよ,ラテン語からアラビア語,植民地の先住民言語に至るまで,多様な言語が導入されたのも事実である。以下ではアジア,ラテンアメリカ,アフリカでのその歴史と現状を紹介する。

[アジアの大学]

日本,タイ,中国を除くアジア諸国は,列強の植民地支配を共通の体験とする。植民当局は大学の教授言語に本国の言語を使用した。初等・中等教育では植民地の現地語が使われた例もあったが,大学だけは常に宗主国の言語が使われた。イギリスインドでのインド(植民地)統治の初期に,例外的に現地語の採用を考えた。ベンガルヘースティングズ(Warren Hastings)総督は1781年に伝統的イスラーム学を教えるカルカッタ・マドラサー(インド)を設置し,ベナレス駐在の総督代理ダンカン(Jonathan Duncan)はベナレス・サンスクリット・カレッジ(インド)を創設し,デカン地区のエルフィンストン(Mountstuart Elphinstone)知事はヒンディー語習得目的のプーナ・カレッジ(インド)を建てた。サンスクリット語,ペルシア語,アラビア語に精通し,植民地統治を支える現地人の必要からであり,ヒンドゥー教やイスラーム教エリートとの友好関係保持が目的であった。しかし,この東洋主義(orientalism)と呼ばれる現地語重視政策はその後イギリス本国で批判を受け,英学主義(anglicism)が台頭する中で,とくに大学では英語の使用が普遍化した。他の列強は自国語以外を考慮しなかった。

 インドネシアではオランダ語が,マレーでは英語が,インドシナ半島ではフランス語が主要言語であった。植民地での教育に熱心でなかったオランダも1851年に医療助手養成機関を創設したのをはじめ,医学,法学,農学の大学を設け,オランダ語で教育を行った。宗主国オランダの教育への消極性は,独立後に国語のインドネシア語への切り替えを容易にした。18世紀末からボルネオ島北西部も含めてマレー半島を支配下に置いたイギリスは英語による衛生・医療従事者養成機関やラッフルズ・カレッジ(シンガポール)を設けた。紀元前111年から西暦938年まで中国皇帝の支配下に置かれ,その後も言語を含めて中華文化の強い影響を受けたヴェトナム(植民地)であったが,新たな宗主国フランスは1887年の入植以後,フランス語を語り,フランス語で思考し,フランス文化に同化した人間を創り出す徹底した政策をとった。1521年にスペインが植民地としたフィリピン(植民地)には,聖職者養成を目的としてイエズス会が創設したサン・イグナシオ大学やドミニコ会が創設し今日まで存続するサント・トマス大学があり,そこでの主要言語はスペイン語であった。しかし,米西戦争によりアメリカ合衆国が覇権を握った1898年以後は,英語が教授言語として大学で使われた。

 欧米列強に伍して台湾および朝鮮を植民地統治した日本は,台北帝国大学,京城帝国大学を頂点とする植民地教育体制を構築し,日本語の使用を強要した。また半植民地と形容される中国大陸でも,東北部の,いわゆる満洲国の建国大学,大同大学をはじめとする諸大学では日本語が教授言語であった。この結果,言語面でハンディを負わされた植民地住民の大学進学機会は実質的に制限され,日本人学生が多数を占めた。
著者: 大塚豊

[ラテンアメリカの大学]

スペインの植民地とされたラテンアメリカ地域には,16世紀半ば以降,各地に植民地大学(ラテンアメリカ)が設立された。これらの高等教育機関は,本国のスペイン大学をモデルとするものであり,当時のヨーロッパ大学の伝統に従い,法学,医学,神学,教養等の講座を備え,ラテン語で書かれた古典的文献を,ラテン語を教授言語にして講義,解説するものであった。このため大学入学にはラテン語の学習が必修とされた。主としてイエズス会などの修道会に属する聖職者たちがその教育にあたった。また,ラテンアメリカ植民地大学に特有の現象であるが,これらの大学には,各地の主要な先住民言語(ナワトル語,カクチケル語,ケチュア語など)の研究・教育を行う講座も設置された。それは先住民へのキリスト教布教のために,彼らの言語や文化に精通した人材を養成する必要に迫られたからである。これらの特設講座では,先住民語やスペイン語が使用されたと推測される。しかし,これらの講座は人気がなく,受講生も少なく,大学内では例外的な存在であった。

 植民地時代末期の18世紀にヨーロッパの啓蒙思想がラテンアメリカにも流入するにつれて,植民地大学での古典偏重,ラテン語万能の教育体制への批判が生じてきた。大学人の中からも,近代科学を大学に採り入れるとともに,ラテン語に代えてスペイン語を教授言語とすることを主張する者が出現する。法学教育では,伝統的なローマ市民法偏重から,スペイン法やインディアス法(植民地法)の教育が重視されてくるにつれて,スペイン語による教授活動がしだいに優位になってゆく。また聖職者の養成は大学を離れて,独立の神学校で行われるようになっていった。1810~20年頃に,ラテンアメリカで独立運動が激しくなり,各地で内戦状況が生ずると,大学教育は事実上活動を停止する。独立の達成直後,あるいは騒乱が収拾された後,植民地大学は各国の国立大学(ラテンアメリカ)として再編されることになるが,新設の国立大学においては,もはや教授言語に関する論争は生ずることはなく,すみやかにスペイン語に一本化されていった。

 ラテンアメリカの古い大学の図書館等を訪問すると,一角に古色蒼然とした革表紙のラテン語文献が並べられていることがある。卒業式や学位授与式のような儀式では,今日でも形式的ながらラテン語が使用される場合が多い。また大学の語学センターでは英語,フランス語,中国語,日本語などと並んで,ラテン語,ギリシア語,ヘブライ語のコースまで提供されていることもある。植民地大学時代の遺産と言えよう。
著者: 斉藤泰雄

[アフリカの大学(植民地)]

アフリカでの教育活動に用いられてきた言語は三つに大別できる。イスラーム圏で広く使用されるアラビア語,キリスト教の布教・教育活動に使用されたアフリカの諸言語,植民地期の学校教育で用いられた宗主国の言語である。このうち現在のアフリカ諸国の言語使用に大きく影響しているのが,植民地教育の言語である。アフリカ諸国の旧宗主国にイギリス,フランス,ベルギー,ポルトガル,スペイン,ドイツ,イタリアがあるが,教育における言語の扱いは各国によって異なる。

 イギリスは,現地に既存の支配構造を利用した間接統治を行うとともに,コスト削減のためキリスト教ミッションによる教育活動を保護,活用した。英語を第1言語としたものの,スワヒリ語などの現地の主要言語を標準化し(正書法の決定や語彙の整備など),初等教育では英語と現地の言語の両方を用いた。初等教育の教授言語として自国の公用語とともにアフリカの主要言語を採用した宗主国には,このほかベルギーとドイツがあった。

 一方,植民地行政官によって直接統治が行われたフランス領の,とくにサブサハラ・アフリカにおける植民地では,「文明的言語」であるフランス語の教育が重視され,現地の言語の使用は認められなかった。また,本国の教育政策の影響で学校教育の非宗教化も進められた。フランス同様,宗主国の言語のみを用いて同化主義的教育を展開した国にはポルトガル,スペイン,イタリアがある。なお宗教的言語であり書記法をもつアラビア語に関しては,フランス領においても,アフリカの諸言語とは異なり一定の地位が与えられた。各植民地の教育担当官によっても状況は異なるが,北アフリカのチュニジアにおいては,初等教育アフリカの教授言語としてフランス語とアラビア語の2言語が用いられた。

 宗主国によって植民地の言語の扱いに違いはあるが,独立後のアフリカ諸国にほぼ共通するのは,教育や行政などの公的場面において依然としてアフリカの諸言語が第1言語とされていない点である。植民地期に標準化が進んだスワヒリ語は,タンザニア独立前後の国民統一のうえで重要な役割を担ったが,教授言語としては植民地期と同様,補助的な役割を担うにすぎず,中等教育段階以降は使用されていない。また,長期の植民地支配を逃れた唯一の国であるエチオピアにおいても,中等教育段階以降は英語が用いられている。

 アフリカ諸国においては,国内の言語的多様性にもかかわらず,使用言語と教授言語の乖離について十分な議論がなされていない。宗教的要因からアラビア語を用いるケースを除くと,アフリカにおける大多数の中等教育機関とすべての高等教育機関で,現在でも旧宗主国の言語が教授言語として採用されている。アフリカの諸言語に関しては,学習・研究の対象に留まっている。独立後においても公用語や教授言語に大きな変更がみられない背景には,特定のアフリカの言語を選択することの困難さや,アフリカ諸言語の標準化に必要な労力や費用の大きさなどがあるが,旧宗主国をはじめとした他国との関係における便宜性から,積極的には検討されなかったという側面もある。
著者: 谷口利律

[アジア]◎P.G. アルトバック,V. セルバラトナム編,馬越徹,大塚豊監訳『アジアの大学―従属から自立へ』玉川大学出版部,1993.

参考文献: 梅根悟監修『世界教育史大系6 東南アジア教育史』講談社,1976.

[ラテンアメリカ]◎梅根悟監修『世界教育史大系19・20 ラテンアメリカ教育史I・II』講談社,1976.

参考文献: 斎藤泰雄「ラテンアメリカ教育史の原像」『国立教育研究所研究集録』第28号,1994.

[アフリカ]◎梶茂樹,砂野幸稔編著『アフリカのことばと社会―多言語状況を生きるということ』三元社,2009.

参考文献: 鹿嶋友紀「サブサハラ・アフリカの言語政策の取り組みと今後の課題―教授言語を中心とする政策課題」,広島大学教育開発国際協力研究センター『国際教育協力論集』第8巻第2号,2005.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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