椿泊浦(読み)つばきどまりうら

日本歴史地名大系 「椿泊浦」の解説

椿泊浦
つばきどまりうら

[現在地名]阿南市椿泊町・伊島町いしまちよう

椿つばき村の東方の海に突き出た岬に位置し、北・東・南の三方が海に面する。岬の突端ひうち崎で、東方海上には伊島があり、江戸時代には当村に含まれた。村内には里として中福井小谷寺谷てらだに出島でじま・糖塚(糠塚か)がある(阿波志)。天正一三年(一五八五)紀州を平定し四国へ兵を進めようとしていた羽柴秀吉に対し、谷忠兵衛は和議を主張し長宗我部元親の使いとして椿泊から出船し秀吉の陣に向かっている(南海治乱記)。同年森志摩守村春は関船を指揮して蜂須賀家政上洛に従い、家政から三千石を与えられ当地を拠点としたという(「森古伝記」「阿淡年表秘録」、寛政八年「森家系図」森家旧蔵文書)。家政は村春が椿から海部かいふ(現海部町)までのいずれの浦においても漁ができるよう浦々代官中に命じている(一二月一〇日「漁業免許御沙汰書」民政資料)。同一七年一二月吉日の那東郡椿村検地帳(椿出張所文書)には「居屋敷分つはきとまり」として一町二反余・七石余が記され、志麻守山下(村春城下)家数一六〇。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図には「とまり」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図には「泊浦」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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