楊秀清(読み)ようしゅうせい(その他表記)Yáng Xiù qīng

改訂新版 世界大百科事典 「楊秀清」の意味・わかりやすい解説

楊秀清 (ようしゅうせい)
Yáng Xiù qīng
生没年:1820ころ-56

中国,太平天国の最高指導者の一人。広西桂平県の客家(ハツカ)の貧農出身。1848年(道光28)弾圧により初期信徒集団に動揺が起こったとき,上帝エホバが乗り移った(天父下風という)としてその意志を伝えて危機克服,以後しばしばこの天父下風を利用して軍事的指導権を握り,天王洪秀全)に次ぐ東王に任ぜられて,太平天国運動の発展を推進した。南京建都後,その専権に対する天王や北王の反感が強まり,前者の意を受けた後者により,一族や部下約2万とともに殺害された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊秀清」の意味・わかりやすい解説

楊秀清
ようしゅうせい
Yang Xiu-qing; Yang Hsiu-ch`ing

[生]?
[没]咸豊6(1856)
中国,清末の太平天国の指導者の一人。広西省桂平県のハッカ (客家)の出身。炭焼き家業とし,読み書きはできなかったが,その神がかり的言動上帝会の組織を固め,咸豊1 (1851) 年の太平天国建国の際,東王に封じられ,天王洪秀全に次ぐ地位を得た。揚子江流域への進出にも大きな功績をあげ,洪秀全に代って実権を握ったが,次第に専横となり,北王韋昌輝,翼王石達開らと勢力争いを展開し,一族もろとも北王に殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の楊秀清の言及

【洪秀全】より

…50年10月から12月にかけて,広西各地で清軍との戦闘に入り,翌年春,彼は天王を称し,秋には同省永安を占領して〈太平天国〉を樹立した。挙兵以後このころまでは,彼は士気の高揚や厳正な軍規の樹立に現実面でも大きな役割を果たしたが,以後軍・政の実権はしだいに東王楊秀清にゆだねられた。とくに53年(咸豊3)南京(天京と改称)占領後は壮麗な天王府を造営して多数の后妃に取り囲まれ,実際の指導から遊離した。…

【太平天国】より

…翌年初め,軍を男軍,女軍に分け,モーセの十戒から取った禁欲的戒律に基づく厳しい軍規を定め,洪秀全は天王と称した。9月,広西省永安(現,蒙山県)で国号を太平天国とし,東・西・南・北・翼の5王以下の官制を定め,東王楊秀清を最高司令官とした。
[運動の発展と停滞]
 広西各地で苦戦したのち,52年(咸豊2)6月,男女5000~6000人の兵力で湖南南部に入った太平軍は,そこで天地会員や坑夫,貧農,流民などから成る多数の新参加者を加えて,大発展する契機をつかんだ。…

※「楊秀清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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