炭焼き(読み)すみやき

改訂新版 世界大百科事典 「炭焼き」の意味・わかりやすい解説

炭焼き (すみやき)

木炭を作ること,またそれを生業とする人。炭焼きはほとんど山間農民兼業として行われてきたが,それが一般化したのはむしろ明治以後といってよい。

 古い専業的な炭焼きは,鉱山の精錬鍛冶の技術に付随して発達したものであった。大分県の山村で木炭をイモジと呼んだのも鍛冶とかかわりのある鋳物師(いもじ)にもとづいた。滋賀県の比良山系周縁には,鉄滓(てつさい)の散布する多くの古代製鉄遺跡があるが,それらの付近に〈金糞(かなくそ)松ノ木〉とか,〈九僧谷(くそだに)〉(金糞谷の転訛か)と隣接して〈炭焼〉という地名が残存するのも,これと無関係ではない。中国山地の砂鉄精錬は,鉄穴(かんな),炭山,韛(たたら),鍛冶屋の4部の山内(さんない)という特異な組織をもったが,そこにも炭焼きは重要な位置を占めていた。しかし,彼らの仲間には旅職を主とした金屋(かなや)集団に加わって,つねに深山に漂泊する一団もあった。《人倫訓蒙図彙》(1690)にも〈あやしの山賤(やまがつ)の業〉と記すほどで,いくらか特殊視された者もあった。諸地方に分布する炭焼長者の伝説は,そうした彼らの過去の投影といえる。

 日用の炭はすでに〈正倉院文書〉に焼炭(やきずみ)・荒炭(あらずみ),《延喜式》《和名抄》に和炭(にこずみ)の名がみえるが,それはまだ古代の公家・寺家社会の所用であった。中世になると,大和の鍛冶炭座のように彼らもしだいに地方の市町(いちまち)に進出し,さらに西京の火鉢座の成立を考えると,民間にもようやく燃料採暖に木炭利用が普及しつつあったことがわかる。

 農民の自給自足的な炭焼きももちろん古いが,それは炭窯を用いない簡略な手法で,炭材を積み上げもみがらで覆うとか,坑(あな)の中に小枝の炭材を入れ焼土をかぶせるとかして,これをむし焼きするといったものであった。炭窯を築いて行う方法は近世以来専門化し,《日本山海名物図会》(1754)にも〈炭諸国より多く出る中に,日向国と紀州熊野より出るもの其性よろし。摂州池田奥山より出るもの炭の名物也。又和泉の横山炭名物也。是は枝炭也。いずくも山に炭竈をすえてやく也。すみがまは木薪の出し入勝手よき所にすゆる也〉とみえる。炭窯で焼く方法は,煙出しの小穴から出る煙の色で窯出しの時期を見定めるのが大切とされた。これを弘法大師教示によるとする伝承があって,その穴をダイシ穴と呼んだりした。炭窯には古風な在来窯のほかいろいろ改良されたものがあるが,大正窯を最後とした。明治以後は家族単位の副業が多かったが,焼子(やきこ)を雇った大経営のものもあった。高度経済成長後の燃料革命で急速に衰退した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「炭焼き」の意味・わかりやすい解説

炭焼き
すみやき

木炭を焼成すること、またはその業者。炭焼きはおもに山間農民の冬期の兼業として近年まで広く行われてきたが、その一般化はむしろ明治期以後で、古い専業的炭焼きはおもに鉱山の精錬業や鍛冶(かじ)に随伴した存在であった。たとえば砂鉄精錬組織としての「山内(さんない)」は、カンナ(鉄穴)、炭山、たたら、鍛冶の四部構成で、炭焼きが不可欠の存在であったことを示している。また古い漂泊性の強い金屋職人団にもかならず炭焼きの一団は随伴していた。黄金の価値も知らずにいたという「炭焼き長者伝説」にもこうした古い炭焼きの姿は反映している。

 平安期の貴族生活には暖房用に木炭が用いられ、さらに中世以後、茶の湯の普及と都市生活の発展に伴ってその需要もしだいに増していったので、京坂周辺にはそのためいくつかの製炭地(丹波(たんば)、近江(おうみ)など)が形成され、若干は製炭専業の山民も生じたらしい。しかし久しく一般農民のおもな燃料はいろり中心の薪(まき)で、自給用の炭焼きも古くからあったらしいが、その手法はきわめて簡略なもので、「炭かまど」を構築するまでには至らなかったらしい。モソロ、エダヤキ、バラズミヤキなど薪材を焼いて土をかぶせるか、あるいは坑をうがって薪材を蒸し焼きにするといった旧手法はいまも若干山村に残っている。

 近世に入ると、都市生活の一般化に伴い木炭の需要が高まって、製炭業もしだいに広まり、「炭かまど」を築いての製炭手法が創案された。都市周辺の山村には農民の兼業的炭焼きがしだいに増加していったが、なお木炭の一般需要は限られており、また製炭手法も未熟であった。木炭が薪材にかわる重要な燃料になるのはむしろ明治以後である。広く国中の山村に冬期兼業としての製炭稼ぎが一般化するのは明治末期以後のことで、黒炭・白炭などの製炭技法も格段に進んだ。そして国有林が東北山村などではその主給源になり、ときには「焼子」を雇っての大掛りな製炭業も一部には生じた。しかし今日、いわゆる「燃料革命」の結果、炭焼きはまったく過去のものと化しつつある。

[竹内利美]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「炭焼き」の意味・わかりやすい解説

炭焼き
すみやき

木炭を生産すること,またはそれに従事する人。製炭労働の作業行程は,築窯,原木伐採,運搬,木拵 (きごしらえ) ,詰込み,炭化作業,窯出し,炭切り選別,俵装,その他製炭中寝泊りする小屋掛けなどに分れる。日本の製炭業は農家などの自営生産が大部分で,賃労働による企業的生産はごく少い。製炭労働者の賃金形態は出来高払いが一般で,炭窯,鋸,斧,鉈 (なた) ,そりなどの生産手段を自弁するほか,その家族も補助的作業に参加する場合が多い。製炭労働者は 1948年約 40万,そのうち 70%は農業その他を兼業していた。第2次世界大戦後の燃料革命は薪炭の地位を急激にくずし,65年を 100とする生産指数は 70年には薪 42.1,木炭 30.0に落ち,木炭生産者も激減した。しかし近年高級料理店や刀鍛冶の間で,あるいは川の汚水浄化などの目的で炭が見直され,各地で今日も伝統的な炭焼きが保持されている。

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世界大百科事典(旧版)内の炭焼きの言及

【職業神】より

…それが日本の木地業のはじめだといい,こうした由緒をもって惟喬親王を木地屋の職祖神,轆轤の神としてあがめるようになり,小椋谷は木地屋の本拠として親王をまつる神社や宮寺が建立され,崇敬の中心とされた。猟師,炭焼き,木樵(きこり),木挽(こびき)など山稼ぎ職の信ずる山の神は,農民のいう山と里を去来する山の神と信仰を異にし,山の神は一年中山に鎮まると考え,特殊な形をした木を山の神の木としてとくに神聖視する風がある。 木樵や木挽は山の神をオオイゴと呼んだところから,それに大子,太子の字をあててダイシ,タイシと読まれ,弘法大師や元三(がんざん)大師,智者大師などに付会した話に語り伝えられ,太子様すなわち聖徳太子とも混同して信仰するようになった。…

【炭】より

…木材の熱分解後の固体残渣(ざんさ)のことで木炭ともいう。炭を主目的として木材を炭化することを製炭といい,炭焼きともいう。木炭は炭窯で造られた黒炭,白炭のほかに,乾留でできた乾留炭があり,木材の不完全燃焼でできた残渣の消炭も木炭である。…

【山の神】より

…生産の比重を山におくか田におくかによって,その伝承に変型を生じたものと考えられる。 炭焼きに従事する人々のあいだでは,その技術を弘法大師から伝授されたというので,大師様を山の神としてまつるところが西日本に分布している。また東北地方の山間部には熊などの獣を獲るまたぎと呼ぶ狩猟者がいた。…

※「炭焼き」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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