日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊簡」の意味・わかりやすい解説
楊簡
ようかん
(1141―1225)
中国、南宋(なんそう)時代の思想家。字(あざな)は敬仲(けいちゅう)、号は慈湖(じこ)。浙江(せっこう)省慈溪(じけい)県の人、官は宝謨閣(ほうぼかく)学士に至る。陸象山(りくしょうざん)(九淵(きゅうえん))の高弟、いわゆる四州四先生の一人として、世界の変化すべては心に根底するものであり、人間の日常の心そのものが霊妙な根本存在である、とする心即理の思想を継承した。ただ陸象山心学が渾一(こんいつ)的主体としての心、生命力あふれる心を強調するのに対し、より明澄で清虚な心のあり方を説くことに傾いた。心の霊妙さを失わせる意念を絶つ修養として「覚」を説き、そのかなたに本来の心を望む点にその特徴がみられる。後代、陽明心学の勃興(ぼっこう)とともに再評価されることになる。著に『慈湖先生遺書』『楊氏易伝』などがある。
[杉山寛行 2016年2月17日]