心学(読み)しんがく(英語表記)Xīn xué

精選版 日本国語大辞典 「心学」の意味・読み・例文・類語

しん‐がく【心学】

〘名〙
① 心から学ぶこと。〔韓愈‐納涼聯句〕
② 中国の哲学者、陸象山王陽明の学術の系統をいう。陽明学とも良知の学ともいい、内なる心を修養し、実践によって聖人に近づこうとする思想。日本では寛永~明暦(一六二四‐五八)頃の熊沢蕃山が有名。
※信長記(1622)一五下「学道〈略〉君が代のいくひさしくもさかへなん和器宝剣は理学心学(シンカク)
③ 江戸時代、石門心学(せきもんしんがく)のこと。中国、明の王陽明の学説に、神道・仏教の趣旨を調和総合した実践道徳の教義。心を正しくし身を修めることを、平易なことばや通俗な比喩で説くことを目的とする。享保一七一六‐三六)の頃、京都の石田梅巖がはじめて唱えだし、天明(一七八一‐八九)の頃、手島堵庵中沢道二により大いに世に行なわれた。
黄表紙・心学早染艸(1790)上「此ごろはしんがくとやらがはやるから、おゐらが住居をするやふな」

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デジタル大辞泉 「心学」の意味・読み・例文・類語

しん‐がく【心学】

心を修練し、その能力と主体性を重視する学問。宋の陸九淵りくきゅうえんみん王陽明の学問。
江戸中期、京都の石田梅岩いしだばいがんが唱えた平易な実践道徳の教え。神道儒教仏教の三教を融合させ、人間の本性を説き、善を修め心を正しくすることを唱導。手島堵庵てじまとあん中沢道二柴田鳩翁しばたきゅうおうらに受け継がれて全国に広まった。石門心学せきもんしんがく

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改訂新版 世界大百科事典 「心学」の意味・わかりやすい解説

心学 (しんがく)
Xīn xué

中国思想史には,禅心学と陸王(陸象山と王陽明)の心学とがある。心,学の字は先秦の古典にすでに多くみられるが,心学と一語として使用されたのは仏教が中国に渡来してから以後のことである。当初,戒・定・慧の三学の一つとして,戒学,慧学に対する定学=心三昧の学というほどの意味であった。仏教が中国伝統思想と対決して禅心学が形成された。ここではもはや心三昧の学ではない。人間存在の全分を一心にかけ,既成のいっさいの教義や,伝統的規範から自由になって,心に転迷開悟の決定的契機をつかもうとする。そのため禅心学は無の哲学をその中核に保有する。これに対抗して宋の程朱学(朱子学)は理学(性理学,道学)を主唱した。彼らは禅心学を,定準なき心に安易に依存し容易に私意妄行に陥り,これでは主体性を確立し人格的に自立することも不可能であり,経世済民の責任を担うこともできない,と激しく非難した。

 しかし,この理学が心の背理可能性を考慮するあまり,定理の先験的超越性を強調すると心の自主性を阻害し畏縮固定させるおそれがある。禅心学の私意妄行と空疏無内容を回避しつつ,既成の権威から自由なところは摂取し,理学の膠着性は拒否しつつ,実理の創造と歴史の形成に参加する点は吸収するという,禅学と理学を止揚して新たな実践哲学を樹立したのが,陸象山,王陽明の心学である。とくに王陽明の創唱した良知心学は,中国,日本の思想界に大きな影響を与えた。近世思想史において主要概念として活用された心(現存在する人格の統一主体)と理(天理,理法)の両者の関係は他者を欠いて一方だけでは存在する意味がない。だから,心学と理学の両概念も排他的概念ではないことに注意しなければならない。朱子学者も心学といい,陽明学者も理学という。それでもなお,心学と理学とを分かつのは,実践論として,心と理のいずれに究極的価値をおくか,換言すれば,心に基づくか天に基づくかによって思惟構造の差異が顕著だからである。
石門心学
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百科事典マイペディア 「心学」の意味・わかりやすい解説

心学【しんがく】

中国では陸九淵(象山),王守仁(陽明)の学統をひく学問。王守仁は朱熹(朱子)を批判し,陸九淵を評価して,学とは心を究極の原理とし,心内で完結すると規定し,〈心即理〉を根本的教理とした。その実現のために簡易な実践徳目を掲げたので,儒仏道三教の融合,学問の権威道徳からの解放と庶民化に役立った。日本では江戸中期に石田梅岩によって開かれた,農民・町人道徳に関する学問を心学または石門心学と呼ぶ。農民・町人も一個の人間としての自覚に立ち,その人間の職分を通して社会生活を協同的に築くべきことを説いた。その説も実践的徳目としての倹約なども封建的道徳の枠外に出なかったとはいえ,広く各階層に支持された。
→関連項目鳩翁道話柴田鳩翁儒教中沢道二藤原惺窩

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「心学」の意味・わかりやすい解説

心学
しんがく
Xin-xue

中国,南宋の陸象山や,明の王陽明の学問。いわゆる陸王の学 (陸王学 ) をいう場合が多い。彼らは,朱子のように経書の字句を解釈することよりも,もっぱら心のあり方に関心を集中した。また朱子は程頤の説をうけ,心を性と情に2分し,その性がであると考えたが,陸王は心全体の作用を重視し,心をそのまま理とした。このように心をきわめて重視することから,この名がある。なお,のちには,朱子学も心学と呼ばれることもあった。日本では江戸時代に庶民道徳を説いた学問も「心学」というが,これはその創唱者石田梅岩の名をとり,特に「石門心学」という。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「心学」の解説

心学
しんがく

一般には江戸時代の陽明学や禅などの影響を強くうけた,心の修養を中心とする学問をいう。また江戸中期の石田梅岩(ばいがん)を始祖とする思想と,その普及のための教化啓蒙運動も心学とよばれる。後者はほかと区別してとくに石門(せきもん)心学という。町人層の社会的伸張を背景に,農工商三民の社会的役割を高く評価し,その人間的平等を強調したことが特色。創始者の梅岩は武士の道徳的優位性を鋭く批判,庶民の人間としての尊厳を説いた。梅岩没後の心学は庶民層に広く普及するだけでなく,武士の間にも支持者をみいだしていったが,社会批判は希薄になり一部を除いて思想的深化はみられなかった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「心学」の解説

心学
しんがく

江戸中期,石田梅岩によって始められた庶民教化思想
石門心学ともいう。神道・儒教・仏教などの諸説を融合,職業・身分に相違はあっても人間の尊さにおいては平等とした。商人の存在理由と商業による利潤追求の正当性を述べ,勤勉・倹約・勘忍・正直などの徳目を,道話・道歌・子守歌など平易な言葉を用いて庶民のうけ入れやすい方法で説いた。梅岩の没後も弟子手島堵庵 (とあん) ,その弟子中沢道二らによって道舎が各地に建てられ,全国に普及,武士層にも浸透していった。

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防府市歴史用語集 「心学」の解説

心学

京都の石田梅岩[いしだばいがん]がおこした庶民教育で、生活の道徳を身近な例えやわかりやすい言葉を使って説き、弟子たちによって全国に広められました。

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世界大百科事典(旧版)内の心学の言及

【心学早染草】より

…悪魂のしわざによって放蕩したことから勘当され,盗賊にまで落ちたが,善魂の勢力挽回によって教化されるという,黄表紙としては理屈くさい作品であるが,善悪の魂の争闘と,理太郎の行動とを二重の画面にあらわしたおもしろさで好評を博した。江戸における中沢道二の心学の流行をとり入れ,寛政改革の時代的風潮に応じようとした作者の機敏さもうかがわれる。この善玉悪玉の趣向は,以後小説にも演劇にも多く模倣された。…

【石門心学】より

…石門とは石田梅岩の門流という意味である。心学という言葉は中国で使われ,日本でも近世初期から《心学五倫書》などの書物に使われているので,石門という文字をつけて区別した。商家に奉公しながら儒教を学んだ梅岩は,1729年(享保14)京都で町人を集めて聴講無料の講釈を始め,広く庶民に道義を訴えて,日本における社会教育の始祖となった。…

【寄席】より

…寄席の経営者は〈席亭(せきてい)〉と呼ばれた。江戸の寄席は,天保の初めごろには銭湯や髪結床なみに数が多かったが,〈天保の改革〉で1842年(天保13)以降,わずか15軒に減り,演目も神道(しんとう)講釈,心学,軍書講釈,昔咄の4種ということで営業を許可された。しかし,民衆の要望が強かったために,その後,ふたたびしだいに盛んとなり,安政年間(1854‐60)には〈はなしの席〉が172軒になった。…

※「心学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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