中国思想史には,禅心学と陸王(陸象山と王陽明)の心学とがある。心,学の字は先秦の古典にすでに多くみられるが,心学と一語として使用されたのは仏教が中国に渡来してから以後のことである。当初,戒・定・慧の三学の一つとして,戒学,慧学に対する定学=心三昧の学というほどの意味であった。仏教が中国伝統思想と対決して禅心学が形成された。ここではもはや心三昧の学ではない。人間存在の全分を一心にかけ,既成のいっさいの教義や,伝統的規範から自由になって,心に転迷開悟の決定的契機をつかもうとする。そのため禅心学は無の哲学をその中核に保有する。これに対抗して宋の程朱学(朱子学)は理学(性理学,道学)を主唱した。彼らは禅心学を,定準なき心に安易に依存し容易に私意妄行に陥り,これでは主体性を確立し人格的に自立することも不可能であり,経世済民の責任を担うこともできない,と激しく非難した。
しかし,この理学が心の背理可能性を考慮するあまり,定理の先験的超越性を強調すると心の自主性を阻害し畏縮固定させるおそれがある。禅心学の私意妄行と空疏無内容を回避しつつ,既成の権威から自由なところは摂取し,理学の膠着性は拒否しつつ,実理の創造と歴史の形成に参加する点は吸収するという,禅学と理学を止揚して新たな実践哲学を樹立したのが,陸象山,王陽明の心学である。とくに王陽明の創唱した良知心学は,中国,日本の思想界に大きな影響を与えた。近世思想史において主要概念として活用された心(現存在する人格の統一主体)と理(天理,理法)の両者の関係は他者を欠いて一方だけでは存在する意味がない。だから,心学と理学の両概念も排他的概念ではないことに注意しなければならない。朱子学者も心学といい,陽明学者も理学という。それでもなお,心学と理学とを分かつのは,実践論として,心と理のいずれに究極的価値をおくか,換言すれば,心に基づくか天に基づくかによって思惟構造の差異が顕著だからである。
→石門心学
執筆者:吉田 公平
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人間の主体性を重んずる中国の思想。性理学、理学に対していう。心のあり方への注目は古くからみられるが、性即理を唱えて心の奥底にある天から賦与された本性をとる朱熹(しゅき)(朱子)の同時代にも、人間存在のあり方そのものに注目する心学的傾向があった。後の王守仁(しゅじん)(陽明)は心即理、致良知(ちりょうち)説を提唱して、現在の人間の心そのものが存在価値を有するから主体的実践こそが重要だとした。そして陽明学派では聖賢との合一、自らが聖賢と化した実践を尊び、人間の心の主体性に注目して情熱的な講学活動が行われた。これを心学とよぶ。彼らは朱子学に対抗して陸九淵(りくきゅうえん)(象山(しょうざん))や陳献章(ちんけんしょう)などの心学の先駆者を顕彰したから、陸王学という呼び方も生まれた。
[佐野公治]
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一般には江戸時代の陽明学や禅などの影響を強くうけた,心の修養を中心とする学問をいう。また江戸中期の石田梅岩(ばいがん)を始祖とする思想と,その普及のための教化啓蒙運動も心学とよばれる。後者はほかと区別してとくに石門(せきもん)心学という。町人層の社会的伸張を背景に,農工商三民の社会的役割を高く評価し,その人間的平等を強調したことが特色。創始者の梅岩は武士の道徳的優位性を鋭く批判,庶民の人間としての尊厳を説いた。梅岩没後の心学は庶民層に広く普及するだけでなく,武士の間にも支持者をみいだしていったが,社会批判は希薄になり一部を除いて思想的深化はみられなかった。
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…悪魂のしわざによって放蕩したことから勘当され,盗賊にまで落ちたが,善魂の勢力挽回によって教化されるという,黄表紙としては理屈くさい作品であるが,善悪の魂の争闘と,理太郎の行動とを二重の画面にあらわしたおもしろさで好評を博した。江戸における中沢道二の心学の流行をとり入れ,寛政改革の時代的風潮に応じようとした作者の機敏さもうかがわれる。この善玉悪玉の趣向は,以後小説にも演劇にも多く模倣された。…
…石門とは石田梅岩の門流という意味である。心学という言葉は中国で使われ,日本でも近世初期から《心学五倫書》などの書物に使われているので,石門という文字をつけて区別した。商家に奉公しながら儒教を学んだ梅岩は,1729年(享保14)京都で町人を集めて聴講無料の講釈を始め,広く庶民に道義を訴えて,日本における社会教育の始祖となった。…
…寄席の経営者は〈席亭(せきてい)〉と呼ばれた。江戸の寄席は,天保の初めごろには銭湯や髪結床なみに数が多かったが,〈天保の改革〉で1842年(天保13)以降,わずか15軒に減り,演目も神道(しんとう)講釈,心学,軍書講釈,昔咄の4種ということで営業を許可された。しかし,民衆の要望が強かったために,その後,ふたたびしだいに盛んとなり,安政年間(1854‐60)には〈はなしの席〉が172軒になった。…
※「心学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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