日本歴史地名大系 「権現村」の解説 権現村ごんげむら 愛媛県:松山市北西海岸地域(旧和気郡地区)権現村[現在地名]松山市権現(ごんげん)町松山平野の北西端の農村。高縄(たかなわ)山塊の西斜面にあたり、村の東部に低平な起伏がみられる。東は大栗(おおぐり)村、西は堀江(ほりえ)村、南は福角(ふくずみ)村、北は風早(かざはや)郡磯河内(いそこうち)村(現北条市)に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の和気(わけ)郡の項に「権現村 日損所、林山有、芝山有」とある。古代には、和気郡大内(おおうち)郷(和名抄)に属したと考えられる。権現の地名は、神亀五年(七二八)に八坂権現をこの地に勧請したのによるというが、これを傍証する史料はない。 権現村ごんげんむら 大分県:大分郡野津原町権現村[現在地名]野津原町野津原野津原村の南に位置する同村の枝村。江戸時代を通じて肥後熊本藩領で、野津原手永に属した。「肥後国誌」によると高一九〇石余。天保二年(一八三一)の本方は一七二石余、免は四ツ五分余、庄屋は野津原村庄屋が兼帯した(野津原手永略鑑)。明治八年(一八七五)野津原村に合併。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by