横倉村(読み)よこくらむら

日本歴史地名大系 「横倉村」の解説

横倉村
よこくらむら

[現在地名]角田市横倉

阿武隈高地から東の角田盆地へ張出した小丘陵一帯にあり、北を高倉たかくら川が東流する。南境から東境西田江にしたえ(尾袋川)が流れる。北は花島はなしま村、東は佐倉さくら村、南は角田本郷。南から北西大河原おおがわら道、西へ白石しろいし城下への道が通る。横蔵村とも記される。天文七年(一五三八)の段銭古帳には「よこくら」とみえ、段銭一八貫二五文と三貫二七五文の二筆が記される。同一五年二月一八日には横倉郷のうち「保多原在家」が定禅じようぜん(現仙台市)に寄進された(伊達正統世次考)。同二二年集成の晴宗公采地下賜録では「よこくらの郷の内三間」が大和田与六郎に下されている。また段銭古帳にみえる段銭六貫一二五文の「なかをか」は当村の字古長岡ふるながおかに比定され、采地下賜録では「いくなかをかの内、かの又藤兵へのふんのこさす」が小梁川尾張守に加恩として与えられている。ほかに段銭古帳等にみえる左関ひだりせき郷は当村北東部字左関から花島村南東部にかけて広がっていた。


横倉村
よこくらむら

[現在地名]小山市横倉

田間たま村の北東に位置し、東を西仁連にしにづれ川が南流する。天文五年(一五三六)と推定される一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)に下郷分として「よこくら」とみえ、伊勢役銭五貫一〇〇文を負担している。同二三年一二月二四日の足利義氏充行状(野田家文書)に小山領一一郷のうち横倉とみえ、野田左衛門大夫に宛行われている。

慶安郷帳に村名がみえ、田方二八四石余・畑方一三七石余。元和五年(一六一九)より下総古河藩領、延宝三年(一六七五)幕府領、天和二年(一六八二)再び古河藩領、貞享二年(一六八五)幕府領、元禄九年(一六九六)旗本小坂・打越・水野・中条の四給となる。


横倉村
よこくらむら

[現在地名]勝山市野向のむき町〈横倉・新道しんどう

大日だいにち山の南東麓を流れる野津又のつまた川沿い、大日峠を越え加賀へ通じる道筋に位置する七山家ななやまが一村。村名は、天正―文禄(一五七三―九六)頃と推定される少弐法眼頼賑(下間氏)の横倉村太良兵衛宛書状(法勝寺文書)にみえる。文中に永正三年(一五〇六)云々の文言がみえ、また隣村野津俣のつまた村への浄土真宗布教が一五世紀末加賀からこの地を経て行われたと伝えられるので、当村民もこの頃浄土真宗野津俣長勝寺門徒となったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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