角田本郷(読み)かくだほんごう

日本歴史地名大系 「角田本郷」の解説

角田本郷
かくだほんごう

[現在地名]角田市角田

角田盆地のほぼ中央に位置し、南は伊具いぐ木沼きぬま(現丸森町)、北は梶賀かじか村、西は豊室とよむろ村、東は阿武隈川を境に尾山おやま村となる。阿武隈川が形成する沖積平野大部分を占め、西方から丘陵が平野に半島状に突き出ている。天文七年(一五三八)の段銭古帳には後世の角田本郷にあたるものとして、段銭二九貫二五〇文の「かく田かう」、一三貫文の「おいかさき」、三貫六〇〇文の「野たのむら」の三ヵ所があげられる。「おいかさき」は西方のおいさき、「野たのむら」は南端木沼村境の野田のだに比定される。天文の乱中の同一五年三月一三日伊達晴宗は飯野孫右衛門に宛て「角田以来、其の地の様体奈何、意殆ど安から不」とする書を送っており(伊達正統世次考)、田手氏の拠る角田の地の動向を心配している。乱後の天文二二年集成の晴宗公采地下賜録では中野常陸介に阿部因幡よりの買地「いくの西根おいかさき、とさき在家」を、大和田右馬允に「おひか崎の郷、一かしま神しや、一いち条たんこ屋しき」、大和田主計娘に「おひか崎の内、一なか沢在家」がそれぞれ下されている。このうち中野常陸介(宗時)伊達稙宗から輝宗の代にかけての伊達家の宿老で、「塵芥集」の起請文にも署判している。天文の乱の際には晴宗方の中心となって活躍した。当時の角田城主とされる田手氏では、田手助三郎(宗光)が伊具西根総成敗に任じられてはいるが、同氏の角田郷支配については采地下賜録にはみえない。弘治三年(一五五七)五月八日には無一軒可楽居士より寄進された「伊具庄於以哥崎郷西光寺分」の知行が晴宗から資福寺に安堵され、守護不入とされている(伊達正統世次考)

天正一九年(一五九一)伊達成実が角田城主となり、文禄四年(一五九五)まで知行。慶長三年(一五九八)から石川昭光が一円知行し、明治維新まで続いた。寛永二一年(一六四四)の同氏知行目録(石川俊直家文書)に角田本郷とあり一八九貫四二六文。正保郷帳では角田宿とあり、田一六四貫四八四文・畑二二貫四六五文、ほかに同所新田二貫七二〇文。宝暦九年(一七五九)の「風土記書上」(井上静男家文書)では田一六六貫二文・畑三一貫二六四文、蔵入の茶畑二〇五文とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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