日本歴史地名大系 「橘島・橘島庄」の解説 橘島・橘島庄たちばなしま・たちばなしまのしよう 大阪府:八尾市橘島・橘島庄旧大和川の本流長瀬(ながせ)川の左岸から、西方を流れる平野川にかけてを橘島とよんだ。長瀬川を古くには「竜華川」ともいったと伝え(河内名所図会)、古代には称徳天皇の由義(ゆげ)宮近くに竜華(りゆうげ)寺があった。同寺は中世の歌学書にみえる河内の「たちばな寺」とも考えられる。延久四年(一〇七二)九月五日の太政官牒(石清水文書)に渋川郡所在の大地(おおじ)庄(現生野区)が所見するが、その田畑二五町余の所在地の一所として「条橘島里」がみえる。渋川郡七条は近世の渋川郡北蛇草(きたはぐさ)・南蛇草(現東大阪市)、伊加賀(いかが)(現生野区)の辺りに比定される。下って室町時代には橘島久宝寺(きゆうほうじ)(慈願寺蔵「親鸞上人絵伝」裏書)、橘島内真観(しんかん)寺(真観寺文書)、橘島正覚寺(しようがくじ)(現平野区)(「大乗院寺社雑事記」明応二年三月一日条など)、橘島安国(あんこく)寺(「庶軒日録」文明一六年一二月二三日条)などの用例がみえるので、渋川郡のほぼ全域に近い地域をよぶ地名であったとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by