檜垣伸(読み)ヒガキ ノブル

20世紀日本人名事典 「檜垣伸」の解説

檜垣 伸
ヒガキ ノブル

明治・大正期の官吏 愛媛県上浮穴郡郡長。 四国新道開削尽力



生年
嘉永3年9月18日(1850年)

没年
大正13(1924)年11月15日

出身地
伊予国(愛媛県)

経歴
明治14年から愛媛県上浮穴郡郡長を務める。上浮穴の開発と発展の根幹は道路建設に尽きると、四国新道(丸亀多度津高知松山 現・国道32、33号など)の開削に取り組む。自ら松山‐久万間の峰に登り実測、その頃にできたダイナマイト効力を試し、費用を算定した。愛媛、高知両知事を説得して18年工事に取り掛かった。工事は膨大な費用がかかり難航したが、先頭に立って槌を振るい郡民を励ました。25年松山‐高知間が開通、のち国道に昇格した。また四国横断鉄道の必要性を説き、植林も熱心に進めるなど上浮穴を発展させる事業に打ち込んだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「檜垣伸」の解説

檜垣伸 ひがき-のぶる

1850-1924 明治-大正時代の官吏。
嘉永(かえい)3年9月18日生まれ。明治14年愛媛県上浮穴(かみうけな)郡長。三坂峠開削を県にはたらきかけ,20年松山と高知をむすぶ四国新道が完成した。以後も四国横断鉄道敷設運動をつづけた。大正13年11月15日死去。75歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身本姓野田

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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