20世紀日本人名事典 「檜垣正義」の解説
檜垣 正義
ヒガキ マサヨシ
- 生年
- 文久1年11月(1861年)
- 没年
- 大正13(1924)年7月4日
- 出生地
- 土佐国安芸郡羽根村(高知県室戸市)
- 旧姓(旧名)
- 鍋島
- 経歴
- 明治15年より羽根村議を務める傍ら、自由民権運動に挺身し、安芸郡内における自由党の中心人物と目された。20年三大事件建白運動に際し、同村総代として上京するが、保安条例に抵触して東京より強制退去。帰郷後、21年に高知県会議員に選ばれ、5期に渡る在任中に議長も務めた。その間、明治33年に立憲政友会高知支部の創設に参加し、支部内の取りまとめに尽力。また「新土佐新聞」を創刊して主筆・社長を歴任し、同紙が「土陽新聞」に吸収されると、その理事となった。さらに、移民事業や真珠の養殖・漁業・実業界などでも活躍し、土佐農工銀行取締役・高知県水産組合長をはじめ、各種団体・企業の役員に就いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報