檜垣直右(読み)ヒガキ ナオスケ

20世紀日本人名事典 「檜垣直右」の解説

檜垣 直右
ヒガキ ナオスケ

明治・大正期の官僚 岡山県知事。



生年
嘉永4年10月8日(1851年)

没年
昭和4(1929)年7月26日

出生地
長門国萩城下(山口県)

旧姓(旧名)
宇野

学歴〔年〕
東京師範卒

経歴
長州藩士・宇野氏に生まれ、7歳で周防山口の桧垣家の養子に入る。幼名を安之進、家督を継いで直右と改める。藩校・明倫館に学び、明治3年上京して、5年東京師範学校に入り、卒業後、四国及び石川県などの師範学校長兼教諭を歴任し、文部省に入る。26年秋田県書記官、のち福島県書記官を経て、33年富山県知事、35年岡山県知事となる。この頃県南部に岡山県の玄関口となる港を築こうとする計画が行き詰まっていたが、反対運動が起こる中、宇野港築港事業を推進する。39年7月起工式(8月)の直前に知事休職の命が出て、計画は後任の寺田祐之知事に引き継がれ、42年宇野港が完成し、43年宇野線も開通、同時に宇高航路が開業した。同年朝鮮総督府京畿道長官となって植民地経営に参画し、大正2年退官して公職を退いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「檜垣直右」の解説

檜垣直右 ひがき-なおすけ

1851-1929 明治-大正時代の官僚。
嘉永(かえい)4年10月8日生まれ。愛媛県などの師範学校長をへて,文部省にはいる。明治33年富山県知事。35年岡山県知事。のち朝鮮総督府京畿道長官をつとめた。昭和4年7月26日死去。79歳。長門(ながと)(山口県)出身。東京師範卒。本姓は宇野。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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