日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇高航路」の意味・わかりやすい解説
宇高航路
うこうこうろ
四国旅客鉄道(JR四国)が管理していた航路名。旧、鉄道連絡航路。宇野(岡山県)―高松(香川県)間11.3海里(21.0キロメートル、上下航路距離の平均)、ただし営業キロ数は18キロメートル。本州―四国間の鉄道連絡航路は、山陽鉄道会社が、子会社の山陽汽船によって、1903年(明治36)岡山―高松間と、尾道(おのみち)―多度津(たどつ)間に開設したのが最初であり、1906年山陽鉄道とともに国有化された。1910年宇野線の開通とともに、前記2航路は廃止されて、新たに宇野―高松間航路が開始された。一般貨物輸送は宇高航路開設時には、艀(はしけ)に積み替えて行われたが、1921年(大正10)から曳航艀(えいこうはしけ)による貨車航送を始め、1930年(昭和5)に至って、最初の自走貨車航送船が就航した。客載貨車航送船が就航したのは、1948年(昭和23)であった。航路の開設以来、本州と四国を結ぶ幹線交通路の一部であったが、1970年代以降、航空輸送や自動車交通の発達とともに宇高連絡航路の重要性は低下した。しかし、その後も宇野―高松間には高速艇が就航し、1972年から日本国有鉄道(国鉄)はホバークラフトを就航させ、通常の連絡船では1時間かかる所要時間を23分で運航した。1987年国鉄分割民営化に伴い、JR四国の管理となった。1988年瀬戸大橋の完成により、鉄道は本四備讃(ほんしびさん)線(瀬戸大橋線。茶屋町―宇多津間)が開通して、鉄道連絡船の運航は終了。その後、連絡船讃岐(さぬき)丸以外の船は売却された。讃岐丸はその後8年間観光船として活躍したが、1996年(平成8)廃止された。
なお、宇野―高松間には鉄道連絡船の廃止後も運賃の割安さなどから、宇高(うたか)国道フェリー、四国急行フェリー、津国汽船(本四フェリー)の3社が就航していた。こちらも宇高航路とよばれていたが、2019年(令和1)12月16日に最後まで就航していた四国急行フェリーが休止したことで、宇野―高松間を直接結ぶ航路は存在しなくなった。
[青木栄一・青木 亮 2020年11月13日]
『四国旅客鉄道編『さようなら宇高連絡船』(1988・交通公社)』▽『読売新聞高松支局編『霧笛が消える 宇高連絡船の軌跡』(1988・美巧社)』▽『萩原幹生編著『宇高連絡船78年の歩み』(2000・成山堂書店)』