正嘉の飢饉(読み)しょうかのききん

改訂新版 世界大百科事典 「正嘉の飢饉」の意味・わかりやすい解説

正嘉の飢饉 (しょうかのききん)

1258年(正嘉2)以後数年間続いた全国的飢饉。58年6月の霖雨(ながあめ)と寒気に加えて8月10日の台風のため全国的に大凶作となり,冬から翌59年(正元1)春夏にかけて惨状が展開した。59年4月の麦収穫以後も,都で小尼が死人を食したとうわさされるなど飢餓状態が続き,疫病が流行した。一例として61年(弘長1)10月になっても武蔵国豊嶋郡江戸郷内前嶋村では百姓がいなくなり公事を負担できなくなっているように,各地で百姓の逃亡・死亡により年貢・公事が滞る状態になっていた。さらに63年には8月14日の台風でまた飢饉となった。朝廷の飢饉対策としては神仏加護を求める呪術的行事が中心であったが(この間年号が正嘉から正元,文応,弘長,文永と改められているのもその一つである),幕府も1259年2月山野河海の自然物採取の禁を解いたり,61年2月関東新制条々61ヵ条を制定するなど治安秩序の維持政策を展開した。日蓮が法華経による国土の飢疫天変地妖からの救済を主張して《立正安国論》を書き上げたのはこの飢饉の惨状の中であった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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