正田英三郎(読み)ショウダ ヒデサブロウ

20世紀日本人名事典 「正田英三郎」の解説

正田 英三郎
ショウダ ヒデサブロウ

昭和・平成期の実業家 日清製粉名誉会長相談役。 皇后美智子の父。



生年
明治36(1903)年9月21日

没年
平成11(1999)年6月18日

出生地
群馬県館林市

学歴〔年〕
東京商科大学卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和41年〕

経歴
父は日清製粉創業者・正田貞一郎。商社勤務を経て、昭和4年日清製粉に入社。10年取締役、11年常務、15年専務、20年社長、48年会長を歴任し、56年名誉会長となる。国民の体位向上への粉食の普及を提唱し、吉田茂内閣の食糧対策協議会委員などを務めた。48年会長。一方、34年長女の美智子さまが明仁皇太子と御結婚、皇太子妃となられ、民間から初めて天皇家に娘を嫁がせるという例のない経験をした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正田英三郎」の解説

正田英三郎 しょうだ-ひでさぶろう

1903-1999 昭和-平成時代の経営者
明治36年9月21日生まれ。正田貞一郎の3男。皇后美智子の父。三菱商事勤務をへて,昭和4年日清製粉にはいる。20年社長となり,戦災で焼失した設備復旧,新設につとめ,世界的水準工場に一新した。48年会長。日本工業倶楽部評議員会会長などをつとめた。平成11年6月18日死去。95歳。群馬県出身。東京商大(現一橋大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「正田英三郎」の解説

正田 英三郎 (しょうだ ひでさぶろう)

生年月日:1903年9月21日
昭和時代;平成時代の実業家。日清製粉社長
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...

退職代行の用語解説を読む