武谷祐之(読み)たけや ゆうし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武谷祐之」の解説

武谷祐之 たけや-ゆうし

1820-1894 江戸後期-明治時代の医師。
文政3年4月2日生まれ。武谷元立長男月形鷦窠(しょうか),広瀬淡窓(たんそう)に儒学を,大坂緒方洪庵(こうあん)に西洋医学をまなぶ。郷里筑前(ちくぜん)福岡にかえって種痘の普及につとめる。福岡藩主黒田長溥(ながひろ)の侍医となり,藩医学校賛生館(九大医学部の前身)の創立につくした。明治27年2月1日死去。75歳。字(あざな)は元吉。号は澧蘭など。著作に「牛痘告諭」など。

武谷祐之 たけや-すけゆき

たけや-ゆうし

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

関連語 タケ

367日誕生日大事典 「武谷祐之」の解説

武谷 祐之 (たけや ゆうし)

生年月日:1820年4月2日
江戸時代;明治時代の蘭方医
1894年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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