歳幣(読み)さいへい

精選版 日本国語大辞典 「歳幣」の意味・読み・例文・類語

さい‐へい【歳幣】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「幣」は木綿や絹などの織物 ) 貢物として毎年贈る織物や金品などのこと。〔蘇軾‐富鄭公神道碑〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「歳幣」の意味・わかりやすい解説

歳幣
さいへい

国家間の条約により、たとえば中国の宋(そう)が、遼(りょう)や金(きん)に毎年金品を贈ったような場合をいう。中国は中華思想による世界帝国をもって任じていたので、周囲の諸民族は朝貢の形式をとった。そして唐の制度文物を受けて民族的自覚を強めるに及んで国家体制を整えた。ことに契丹(きったん)(遼)は強盛となり、その助力によって936年建国した五代の後晋(こうしん)は臣礼をとり、代償として燕雲(えんうん)(北京(ペキン)と大同地方)十六州を割き、毎年、帛(はく)(絹織物)30万匹を贈ったが一時的であった。宋代には1004年の澶淵(せんえん)の盟によって、宋を兄、契丹を弟とし、宋は契丹に銀10万両、絹20万匹を贈った。また1044年契丹に入貢した西夏(せいか)が宋と和するのを条件に、宋は契丹に銀絹各10万を増し、西夏にも銀5万両、絹13万匹、茶3万斤を贈ることとした。その後、金が契丹(遼)にかわり、北宋を滅ぼして南宋になると、1142年秦檜(しんかい)による金との和議がなり、宋は臣礼をとるとともに、毎年銀絹各25万を贈った。1165年、叔父・甥(おい)の関係に改め、銀絹各20万に減じたが、1208年に伯父・甥の関係とするかわりに銀絹各30万に増し、モンゴル勃興(ぼっこう)までこれが続いた。

[青山定雄]

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旺文社世界史事典 三訂版 「歳幣」の解説

歳幣
さいへい

中国王朝の周辺異民族に対する和親策の1つ。歳貢・歳賜ともいう
武力にすぐれた周辺諸国に対し,定額の金品を贈る。漢の高祖劉邦 (りゆうほう) が匈奴 (きようど) に与えたのが始まりで,宋代に最も盛んとなり,北宋は遼 (りよう) ・西夏 (せいか) に対し,南宋は金に対し多額の歳幣を与えた。

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