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殷元良 いんげんりょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

殷元良
いんげんりょう

[生]尚敬王6(1718)
[没]尚穆王16(1767)
琉球の画家。幼名は真牛 (もうし) ,名は庸昌,殷元良は唐名。 12歳のとき尚敬王に召され,貝摺奉行所の画家山口宗季に画技を習い,国王より印を賜わる。貢使の一員として北京に渡り帰国,琉球画壇の第一人者として活躍。晩年,座間味間切 (ざまみまじり) の地頭職になり,座間味親雲上と呼ばれた。主要作品『山水図』 (正木美術館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

殷元良 いん-げんりょう

1719*-1767 琉球の宮廷画家。
尚敬王6年12月21日生まれ。幼少のころから画に才能があり,12歳のときから尚敬王の宮廷でそだてられ,画を山口宗季(呉師虔(ご-しけん))にまなぶ。中国や日本の画の影響をうけ,花鳥画や山水図にすぐれた。のち座間味(ざまみ)間切総地頭。尚穆王16年3月29日死去。50歳。本名は座間味庸昌(ようしょう)。字(あざな)は廷器(ていき)。作品に「山水図」「鶉(うずら)図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

殷元良

没年:尚穆16.3.29(1767.4.27)
生年:尚敬6(1718)
18世紀の琉球の画家。本名は座間味庸昌。字は廷器。尚敬17(1729)年,尚敬王の宮廷に召され,呉師虔(山口宗季)に絵を学んだ。尚穆1(1752)年,進貢使の一員として清に渡って画技を磨き,帰国後,尚敬王の肖像画を描いた。細密な花鳥画,文人画風の山水画をよくする。木村探元の画論『三暁庵雑志』に言及があるように,生前から日本に知られていた。作品に「粟鶉図」(1748,大倉集古館蔵),「山水図」(1753,正木美術館蔵),「雪中雉子図」(沖縄県立博物館蔵)など。<参考文献>比嘉朝健「琉球歴代画家譜」(『美術研究』45,48号)

(佐藤康宏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いんげんりょう【殷元良】

1718‐67
琉球王朝時代の宮廷画家。本名は座間味庸昌(ざまみようしよう),字は廷器といい,殷元良は唐名。12歳のとき尚敬王に召され,王府において呉師虔(ごしけん)(山口宗季)より画技を学んだ。中国画や日本画の影響を受けて,写生的花鳥図,文人画的な山水図に長じた。1752年,進貢使の一員として中国に渡り,福州にて《山水図》(正木美術館)を描いた。代表作に《鶉図》(大倉集古館)がある。【林 進】

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367日誕生日大事典の解説

殷元良 (いんげんりょう)

生年月日:1718年12月21日
江戸時代中期の琉球の画家
1767年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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