出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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殷元良
没年:尚穆16.3.29(1767.4.27)
生年:尚敬6(1718)
18世紀の琉球の画家。本名は座間味庸昌。字は廷器。尚敬17(1729)年,尚敬王の宮廷に召され,呉師虔(山口宗季)に絵を学んだ。尚穆1(1752)年,進貢使の一員として清に渡って画技を磨き,帰国後,尚敬王の肖像画を描いた。細密な花鳥画,文人画風の山水画をよくする。木村探元の画論『三暁庵雑志』に言及があるように,生前から日本に知られていた。作品に「粟鶉図」(1748,大倉集古館蔵),「山水図」(1753,正木美術館蔵),「雪中雉子図」(沖縄県立博物館蔵)など。<参考文献>比嘉朝健「琉球歴代画家譜」(『美術研究』45,48号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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殷元良 いん-げんりょう
1719*-1767 琉球の宮廷画家。
尚敬王6年12月21日生まれ。幼少のころから画に才能があり,12歳のときから尚敬王の宮廷でそだてられ,画を山口宗季(呉師虔(ご-しけん))にまなぶ。中国や日本の画の影響をうけ,花鳥画や山水図にすぐれた。のち座間味(ざまみ)間切総地頭。尚穆王16年3月29日死去。50歳。本名は座間味庸昌(ようしょう)。字(あざな)は廷器(ていき)。作品に「山水図」「鶉(うずら)図」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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殷元良
いんげんりょう
[生]尚敬王6(1718)
[没]尚穆王16(1767)
琉球の画家。幼名は真牛 (もうし) ,名は庸昌,殷元良は唐名。 12歳のとき尚敬王に召され,貝摺奉行所の画家山口宗季に画技を習い,国王より印を賜わる。進貢使の一員として北京に渡り帰国,琉球画壇の第一人者として活躍。晩年,座間味間切 (ざまみまじり) の地頭職になり,座間味親雲上と呼ばれた。主要作品『山水図』 (正木美術館) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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殷元良 (いんげんりょう)
生年月日:1718年12月21日
江戸時代中期の琉球の画家
1767年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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