朝日日本歴史人物事典 「毛利時親」の解説
毛利時親
生年:生年不詳
鎌倉末期の武将。大江広元の孫経光の子。長崎泰綱の娘(亀谷局)を妻とした。法名を了禅。文永7(1270)年経光から,安芸国吉田荘,越後国佐橋荘南条の地頭職を伝領。元徳2(1330)年には所領を孫の親衡に譲与したが,建武政権が領家方の人物に地頭職を与えたことから,足利氏与党の立場を鮮明にして地頭職を奪回,延元1/建武3(1336)年,吉田荘に下向した。翌4年1月には,吉田荘地頭職を親衡死後は元春が相続することを定めた譲状を作成。安芸毛利氏の基礎をなした。<参考文献>『広島県史』
(永井晋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報