毛利時親(読み)もうり ときちか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利時親」の解説

毛利時親 もうり-ときちか

?-1341 鎌倉-南北朝時代の武将
毛利経光(つねみつ)の4男。越後(えちご)(新潟県)佐橋荘と安芸(あき)(広島県)吉田荘地頭職(しき)をつぎ,六波羅評定衆となる。元弘(げんこう)の乱では曾孫毛利元春とともに足利尊氏方につき,吉田荘に一族を結集して安芸毛利氏の基礎をつくった。暦応(りゃくおう)4=興国2年7月6日死去。法名は了禅。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の毛利時親の言及

【毛利氏】より

…(1)西中国の雄族で中・近世大名(図)。大江広元が相模国毛利荘をその子季光に譲り,季光がここを苗字の地としたのに始まる。季光は宝治合戦(1247)で三浦氏に荷担したため同荘を没収されたが,その第4子経光は荷担せず越後国佐橋荘,安芸国吉田荘等を保持した。経光は1270年(文永7)両所を第4子時親に譲った。吉田荘では96年(永仁4)領家・地頭間で下地中分(したじちゆうぶん)が行われ,時親は吉田,麻原(おはら)を領した。…

※「毛利時親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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