国指定史跡ガイド 「毛利氏城跡」の解説
もうりししろあと【毛利氏城跡】
広島県安芸高田市にある城跡。指定名称は「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡(たじひさるがけじょうあと) 郡山城跡(こおりやまじょうあと)」。安芸の国人領主から中国地方有数の戦国大名になった毛利元就(もうりもとなり)に関係する遺跡群。毛利氏が本拠とした吉田町の郡山城跡、元就が青少年期を過ごしたと伝えられる多治比の多治比猿掛城跡からなる。1940年(昭和15)に国の史跡に指定され、1988年(昭和63)には指定区域を全山に拡張して追加指定があり、名称も「毛利氏城跡」に変更になった。郡山城は、海抜400mの郡山山頂に本丸を設け、南に二の丸・三の丸を構え、放射状に延びる尾根上に大小約270の郭(くるわ)が築かれていた。毛利氏約260年間の居城であったが、1591年(天正19)、輝元(てるもと)が広島に築城して移って以後、廃城となった。本丸・二の丸・三の丸一帯には石垣や石塁などが残っている。また山中や山麓の各所には、毛利元就の墓をはじめ毛利氏歴代の墓や菩提寺などの跡がある。これらの諸寺は毛利氏が城を移すにともない移転した。多治比猿掛城は、元就が1523年(大永3)に27歳で郡山城に移るまで居住した城。郡山城から北西約4kmに位置し、本丸の標高376m、比高120m、山は峻険で天然の要害をなし、典型的な中世山城である。本丸・二の丸・三の丸などの城郭が遺存している。郡山城と同様の時期に廃城となったようだ。現在、郡山山麓には郡山公園があり、南麓には、安芸高田市歴史民俗博物館がある。多治比猿掛城跡へは、JR芸備線向原駅から車で約15分。郡山城跡へは、同駅から車で約15分。