日本古代の畿内貴族が,後宮の下級の女官である女孺(によじゆ)にあてるため貢進した女性。大化前代に,地方豪族である国造(くにのみやつこ)が,采女(うねめ)を朝廷に貢進する慣習があり,これが律令制にひきつがれ,郡司が姉妹子女を采女として貢進する制度として成立した。そして,これとは別に天武朝から畿内の諸氏は,年13~30歳の女性を,氏別に1人貢進することが定められたが,これを氏女という。氏女は,後宮の諸司に配せられ,残りは縫司にあてられた。このような制度は,畿内貴族の男子を,天武天皇のときには大舎人(おおどねり),大宝令では内舎人(うどねり)から出身させると定めたことと表裏をなすものであろう。氏女の制度は,その後停止されたが,806年(大同1)に復活し,氏長者(うじのちようじや)が,氏中の端正な女性で,年30~40歳の,夫のないものを進めることとされた。
執筆者:平野 邦雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…このことはもちろん,同じく中世のうちにあっても,南北朝時代以前の社会が,まだまだ古代以来のさまざまな諸関係を完全には拭いきれていない過渡的な段階であることを示す。中世社会のどのようなところに古代的関係が残存していたかを知るための大きな手がかりは,そのころの女性がほとんど個人名を名のらず,〈氏女(うじのによ)〉としてのみ史料上にあらわれてくることである。これは,かの名字族の形成とともに,男性たちが古代からの独立をとげた後においても,女性たちのまわりには,古代以来の伝統がその後も長く生きつづけていたことを示すものであろう。…
※「氏女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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