内舎人(読み)ウドネリ

デジタル大辞泉 「内舎人」の意味・読み・例文・類語

う‐どねり【内舎人】

《「うちとねり」の音変化》
律令制で、中務なかつかさに属する文官。宮中の宿直や雑役に従い、行幸の警護にあたった。五位以上の子弟から召したが、のちには諸家の侍、特に源氏・平氏の中から選ばれた。
明治官制で、主殿寮東宮職最下級の職員。殿中の雑務に従事した判任官

うち‐とねり【内舎人】

うどねり」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「内舎人」の意味・読み・例文・類語

う‐どねり【内舎人】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 令制で、中務省(なかつかさしょう)に属する文官。大宝元年(七〇一)六月設置。警衛、雑役に従い、行幸時に供奉(ぐぶ)して前後左右を警護する。分番官(順番に勤務する)の大舎人に対して長上官(毎日出勤する)である。定員九〇人。うちとねり。
    1. [初出の実例]「十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿禰家持作歌六首」(出典:万葉集(8C後)三・四七五・題詞)
    2. 「殿上ゆるさるるうどねりなめり」(出典:枕草子(10C終)二七八)
  3. 明治官制で、主殿寮(とのもりょう)、東宮職の最下級の職員。殿中の雑務に従事した判任官。〔東宮職官制(明治四〇年)(1907)〕

うち‐とねり【内舎人】

  1. 〘 名詞 〙うどねり(内舎人)
    1. [初出の実例]「左補闕(ウチトネリ)趙巡喜びて奏す」(出典:天理本金剛般若経集験記平安初期点(850頃))

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内舎人」の意味・わかりやすい解説

内舎人
うどねり

天皇近侍の官。内は禁内(きんだい)をさし、大舎人(おおとねり)に対する称。「うちとねり」の略で、「とねり」は刀禰(とね)入りの意とか、殿侍(とのはべ)りの転とする説などがある。『漢書(かんじょ)』高帝紀の師古の注に、舎人は左右近侍の官と記すのに由来するといわれ、『日本書紀』に記す近習(きんじゅ)(侍)舎人は内舎人の前身。701年(大宝1)90人を任じ、「養老(ようろう)軍防令」では五位以上者の子孫(21歳以上)の聡敏(そうびん)者から採用。中務(なかつかさ)省に属し、帯刀して禁中宿衛、行幸警衛を任としたが、武官でなく文官。大臣らの子を任ずることが多い(例、大伴家持(おおとものやかもち))。807年(大同2)闈司(みかどのつかさ)にかわり奏事をつかさどり、翌年雑物出納(すいとう)に関与したが、811年(弘仁2)闈司が行う制に復した。定員は808年40人に減じ、のちも増減。延喜(えんぎ)(901~923)以後、良家の子の任用が絶え、諸家の侍(さむらい)を任じて卑官化し、摂関の随身(ずいじん)として賜り、武士も任ぜられ、出身により源内、平内などと称した。

[井上 薫]

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改訂新版 世界大百科事典 「内舎人」の意味・わかりやすい解説

内舎人 (うどねり)

天皇に近侍する官。〈うちとねり〉の略(内は大舎人の大に対する語で,より近く天皇に侍す意)。《日本書紀》にみえる近習(侍)舎人はその前身。701年(大宝1)に初めて90人を任用。養老令では,五位以上の人の子孫(21歳以上)の聡敏端正者から90人を選び中務省に属させた。帯刀して宮中に宿衛し,雑使を務め,行幸の前後を分衛するが,文官に属す。有力者の子弟・子孫や白丁(無位無官者)はまず舎人を務める段階を踏み,その後官人や郡司となりえたが,中でも蔭子孫(おんしそん)は内舎人,大舎人,二宮(東宮・中宮)舎人のいずれかを務めたあと主典を経ず判官に進み,とくに内舎人は長上(常勤)待遇で考限(撰任に必要な年限)が短く昇進に有利で,藤原武智麻呂など上級貴族の子弟がこのコースをとった。807年(大同2)内舎人の定員は40人に減少された。871年(貞観13)摂政藤原良房に内舎人2人を随身として賜与され,また延喜年間(901-923)以後,有力者の子弟を内舎人に任ずることも止み,諸家の侍がこれに代わり,さらに武士も任ぜられて源内,藤内,平内と称すなど,天皇に近侍する機能は変質した。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「内舎人」の解説

内舎人
うどねり

中務省の品官。定員90人だったが,808年(大同3)40人に減員。五位以上の官人の子孫のうち優秀者を任じた。高級官僚の見習い的性格をもつ一方,雑使や宿衛,行幸時の分衛をつかさどる実質のある官でもある。帯刀するが文官扱いで,中務少丞に準じて給禄された。一時は闈司(みかどのつかさ)の奏事にかわり官物の出納にも関与したが,しだいに高官の子弟の任官は絶えて出身制限も守られなくなり,摂政・関白などの随身(ずいじん)になる例もでてきた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内舎人」の意味・わかりやすい解説

内舎人
うどねり

令制で中務 (なかつかさ) 省に属する官。武装して宮中に宿直し,天皇の雑役や警衛にあたった。定員は 90人で,五位以上の子弟から選ばれたが,平安時代には低い家柄からも出るようになった。のち摂政関白の随身となり,本来の機能は失われた。

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世界大百科事典(旧版)内の内舎人の言及

【内舎人】より

…帯刀して宮中に宿衛し,雑使を務め,行幸の前後を分衛するが,文官に属す。有力者の子弟・子孫や白丁(無位無官者)はまず舎人を務める段階を踏み,その後官人や郡司となりえたが,中でも蔭子孫(おんしそん)は内舎人,大舎人,二宮(東宮・中宮)舎人のいずれかを務めたあと主典を経ず判官に進み,とくに内舎人は長上(常勤)待遇で考限(撰任に必要な年限)が短く昇進に有利で,藤原武智麻呂など上級貴族の子弟がこのコースをとった。807年(大同2)内舎人の定員は40人に減少された。…

【舎人】より

…これは,天皇に近侍し,宿直や遣使をつとめる間に天皇に忠節をつくす習慣を養わせ,このように養成された大舎人を他の官司の官人に任じ,天皇による支配を官司に浸透させるしくみであったことを物語る。大宝令では大舎人の中から内舎人(うどねり)が分化した。令制の官司で定員の最も多いのは左右大舎人の各800人で,つぎは春宮坊舎人(東宮舎人,坊舎人)の600人,中宮職舎人の400人(中宮職は749年(天平勝宝1)に中宮省となる)である。…

※「内舎人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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