気多郷(読み)けたごう

日本歴史地名大系 「気多郷」の解説

気多郷
けたごう

気田けた地区一帯に比定される。「和名抄」所載の山香やまか郡気多郷の遺称地か。建武三年(一三三六)一〇月日の円阿軍忠状写(内田文書)に「気多城」がみえ、同年九月一六日以降の同城など遠江国内の合戦での軍忠が上申されている。同年一一月日の某軍忠状写(同文書)でも細河八郎、さらに目代左京亮に属して気多城へ籠城したことなどの軍忠が上申されている。これらの気多城のすべてが当地気多郷内にあった城かどうかは確かでない。現もり三倉みくら蔵泉ぞうせん寺蔵の大般若経巻三一の奥書には、至徳元年(一三八四)五月一五日「遠州気多郷円満寺」で書写とある。同様に巻三二―三四は至徳元年、巻四〇は同三年、巻三五は同四年に当郷の円満えんまん寺において比丘義潤により書写された。

気多郷
けたごう

古代の気多郡日置ひおき(和名抄)に成立したとみられる鎌倉時代の国衙領かみ郷・下郷に分れ、円山まるやま川右岸の上郷かみのごうが遺称地で、その下流一帯に比定される。貞応元年(一二二二)七月七日付の関東下知状(仁和寺文書)に「多気下郷」(気多下郷)がみえ、同郷および三方みかた郷・日置郷に入組む京都仁和寺領新井にい庄に対するそれぞれの地頭押領を停止し、新井庄領として安堵している。気多下郷に散在する新井庄領は一町七反で、地頭は沼田三郎である。

気多郷
けたごう

「和名抄」高山寺本・東急本にみえる郷名。訓は不明だが、ケタであろう。名博本に「気比きひ」とあるが、気多の誤記とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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