日本歴史地名大系 「日置郷」の解説
日置郷
ひおきごう
古代の
日置郷
ひおきごう
「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。諸国同名郷を「ひおき」とよぶ例が多いが、また「ひき」ともよぶ。「丹後国風土記」逸文の浦嶼子に「与謝の郡、日置の里、此の里に筒川の村あり」とある。「伊呂波字類抄」には
中世末の丹後国御檀家帳は「ひをき」とよんでいる。
丹後国田数帳に、
とある。大永六年(一五二六)五月三日付の丹後国日置郷内国富分米銭納所注文(成相寺文書)および同年六月一二日付の成吉孫次郎の成相寺永明院宛書状(同文書)は、いずれも「国富」を日置郷内としている。
日置郷
ひおきごう
近世の郷で、鹿児島藩の外城の一。日置島津家の私領。北と東は
日置郷
ひおきごう
- 鳥取県:気高郡
- 日置郷
古代の
日置郷
ひきごう
日置郷
ひおきごう
日置郷
ひおきごう
「和名抄」高山寺本に「日置」と記し、訓を欠くが、刊本では「比於木」と訓じる。しかし「大日本地名辞書」は「比於木とあるは疑ふべし。今日置村菱海村にあたり、ヘキと唱ふるは古言の遺れるならん」と記している。「山口県文化史」はこの説をうけて「ヘギ」と読むのが正しいと述べている。同名の郷は大和・伊勢・尾張・安房・能登・越後・丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・肥後・薩摩の諸国とともに周防国佐波郡にもみられる。同郡日置郷の項で触れたように、延喜八年(九〇八)周防国玖珂郡玖珂郷戸籍(石山寺所蔵文書)に「日置部小魚丸」など同姓一九人がみられ、「吾妻鏡」文治三年(一一八七)の条にも、周防在庁官人に日置宿禰高光などがみえるところから、同族が広く長門にも及んでいたのではないかと考えられる。
日置郷
ひきごう
日置郷
ひきごう
日置郷
ひおきごう
日置郷
ひおきごう
日置郷
へきごう
日置郷
へきごう
日置郷
ひおきごう
日置郷
ひおきごう
日置郷
ひおきごう
日置郷
ひおきごう
日置郷
ひおきごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報