水引村(読み)みずひきむら

日本歴史地名大系 「水引村」の解説

水引村
みずひきむら

[現在地名]舘岩村水引

湯入ゆのいり村の南、水引川(湯ノ岐川)左岸の標高およそ八〇〇メートルにある。同川の形成する谷の最も奥の山村南方帝釈たいしやく山脈田代たしろ(一九二六・三メートル)がそびえ、田代山湿原弘坊こうぼう沼などがある。狩猟の盛んな村で、文安年間(一四四四―四九)獲物を追ってきた三人の猟師が湧き出る泉のそばに定住したのが村の始まりと伝える。「異本塔寺長帳」によると慶長一六年(一六一一)八月二一日に会津地方を襲った大地震の影響で当村にも沼ができたという。元禄七年(一六九四)の村明細帳(星家文書)によると高二八石余、反別七町五反余で畑のみ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む