水引・水引郷(読み)みずひき・みずひきごう

日本歴史地名大系 「水引・水引郷」の解説

水引・水引郷
みずひき・みずひきごう

高城たき郡の南部、川内川右岸一帯を占める。北は同郡高城郷、北西は薩摩郡ちゆう郷、南は川内川を隔てて同郡隈之城くまのじよう郷・高江たかえ郷。

〔中世〕

貞和七年(観応二年、一三五一)六月二日の源某奉書案(二階堂文書)に、同五年一一月二八日夜に国分友重が同族新田宮執印友雄の居城水引城に押寄せ合戦となり、殺害放火等の狼藉をしたとして友雄から訴えが出され、これにより実否の究明が隠岐三郎左衛門入道(二階堂氏)に命じられている。水引城跡は現在の御陵下ごりようした運動公園からJR上川内駅南方の林田バス営業所の辺りまで含む小高い丘陵地帯であったが、現在は削平されて国道三号が貫通し、開発により宅地化している。かつては四辺が屏風を立てたような断崖であったので別名屏風びようぶ城ともいった(「三国名勝図会」など)。応永(一三九四―一四二八)頃には島津総州家の勢力下にあったらしく、同一八年渋谷氏系高城氏が水引両城(水引城と五代城)を所望し、総州家の島津久世がこれを了承すると、高城氏は大軍をもって両城を攻略した(応永記)。以後両城は高城氏の勢力下に入ったらしい。同二九年高城氏兄弟が対立すると、兄大川某は東郷・国分・執印の各氏らと水引城に入り、弟三郎は守護島津久豊に属して同城に近い高城の本城に拠ったという(「島津義天譜」旧記雑録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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