精選版 日本国語大辞典 「紋章」の意味・読み・例文・類語
もん‐しょう ‥シャウ【紋章】
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家柄、団体を表すために、動植物や器物などを図案化した印。
[遠藤 武]
公家(くげ)と武家の場合は、その家が属している氏族の系譜上の称号、苗字(みょうじ)と関係のあるもの、庶民の場合は、明治以後につけられた苗字と関係あるものが多く、図紋として用いられている。
[遠藤 武]
家紋は、保元(ほうげん)・平治(へいじ)(1156~1160)のころ、旗や幕に家の印として用いられたとか、源頼朝(よりとも)に始まるという説があるが、本来は公家が車で宮中に出入りする際に、自分の車と他人の車を識別するために考案されたとみるべきであろう。その成立年代ははっきりとしないが、おそらくは平安時代の中期に、藤原一門などで門地門閥を重んずる風潮が盛んとなり、儀式その他において自家の標識として家紋をつけ、それによって識別の便利さを知ったのであろう。さらに格式ある家紋は、家紋によって他を圧するほどの勢いをもつようになっていった。
公家の家紋は優雅なものが多く、武家の家紋は実用的で、戦いの場において、敵味方の陣地識別のために旗や幕に用いて目印としたのに始まり、簡略で、しかも識別しやすい幾何学模様が多いのが特色といえる。ことに群雄割拠して互いにしのぎを削るような争いが続くにつれて、一軍の将たる者は、地方の群雄の家紋をつねに熟知しなくてはならなくなり、このために『見聞諸家紋』という書籍さえ刊行されるほどであった。
関ヶ原の戦いを契機として、太平の世の基盤ができて、武具、武器、旗、幟、馬印などは無用のものとなり、紋章の用途のうえに一大変革が行われた。つまり家紋は、武士の威儀を正すのに必要なものとなり、儀礼のうえからも、自己の家格門地を表す服装の決まりができて、参勤交代あるいは登城をするときの行列に、家紋を明示する必要に迫られ明暦(めいれき)大火(1657)の翌年に『大名御紋盡(だいみょうごもんづくし)』という後世の「武鑑(ぶかん)」に相当するものが刊行された。弓は袋に刀は鞘(さや)にという太平の世の連続は、おのずから奢侈(しゃし)の風潮を生み、衣服、調度にまで家紋をあしらうようになり、ここに威儀を正すというよりも、装飾としての家紋が普及した。こうして、元禄(げんろく)文化を背景として伊達(だて)紋、加賀紋、鹿子(かのこ)紋、崩し紋、比翼紋などしだいに盛んになっていった。また貨幣経済の発達と商業の隆盛に伴って、富裕な町人の間にも、武家以上の異体異様の紋章を好む風習が流行し、婦女子の間では、自家の紋よりも歌舞伎(かぶき)者の紋を、髪飾りや装身具につけて楽しむことが流行し、江戸時代の末期まで盛行したのである。
明治の新政府となって、服制上にも変化がおこり、和服にかわって洋服を用いることが行われた。嫁入り調度品や花嫁衣装には、江戸時代と同じようにまだ和服全盛の時代であったが、近代資本主義の発達により、産業界では自社製品を製造販売することから、表徴としての記章が生まれた。そして、家紋とは別に重要な役割を演じ、ひいては都市あるいは団体の記章として発展、現在でもこの影響が受け継がれている。
[遠藤 武]
日本の紋章は実に多く、約2800種にも上り、封建社会でのその盛行がしのばれる。しかし今日行われているのは、そのうち100種にも満たず、伊達紋(山水、花鳥などをはでに図案化したもので、芸妓(げいぎ)などが用いる紋)を加えても、300種くらいのものと思われる。
紋章の対象となるものは、日月星辰(せいしん)のほか、植物、動物、調度、文字、自然現象などであるが、そのなかでも公家と武家では、たとえ同一の紋章であっても、武家は尚武を表す意味から、剣が付加される場合がある。たとえば剣酢漿草(けんかたばみ)、丁字、梅鉢、菱(ひし)はその例である。家紋としてもっとも多く用いられたのは植物で、そのなかでも桐(きり)を第一とし、藤(ふじ)、菊、蔦(つた)、笹(ささ)、酢漿草、梅、桔梗(ききょう)の順となる。そのほか巴(ともえ)、唐花(からはな)菱、九曜(くよう)、蝶(ちょう)、木瓜(もっこう)、引両(ひきりょう)、目結(めゆい)などがある。そのほかなじみが深いものに、鷹羽(たかのは)、井桁(げた)、源氏車、鱗(うろこ)、鶴(つる)などがある。
[遠藤 武]
西洋で紋章制度が確立されたのは12世紀後期であるが、それ以前の古代諸国にも、紋章類似のものが認められる。たとえばエジプトのツタンカーメン王の墓の壁画にある盾の太陽シンボル、古代ペルシアのペルセポリス宮殿浮彫りの盾にある円の中の4個の円の紋、古代ギリシアの壺(つぼ)に描かれた戦士の盾にみられるメドゥーサの首、獅子(しし)、鷲(わし)、イノシシなど、また、ギリシアの貨幣にあるアテネのフクロウ、コリントのペガサス、クレタのミノタウロスなどである。これらのしるしが個人や団体の標章として永続的に用いられたかどうかについては記録的資料が乏しいが、後世の紋章の前身と考えられる。
紋章制度の確立という意味は、各人(あるいは各団体)が独自の紋をもち、これが継続的であって、社会的に公認されること(国王の認可、紋章院の登録など)である。このような制度が生まれたのは、十字軍の戦いや、騎士の槍(やり)試合などが動機となっている。11世紀末に始まった十字軍に従軍の騎士団は、大規模な集団戦闘で彼我の識別が必要となり、イスラムのアササン騎士団をまねて、マントに目印をつけた。たとえば、聖堂騎士団は赤のマルチーズ十字(先端が二つに分かれた十字)、マルタ騎士団は白で同じ十字、チュートン騎士団はパテ十字(先端が広がった十字)である。これが集団の紋章の始まりで、その後、王、諸侯が各自の紋章を用いるようになり、さらに騎士の槍試合の流行で、各騎士が識別のために紋章を用いた。また、のちには聖職者、都市、大学、商工業者ギルドなども、同じような形式の紋章を用いるようになった。
国王の紋で代表的なものをあげると、イングランドでは、獅子心王リチャード(在位1189~1199)から3匹の獅子を用いているが、獅子はもとノルマン王のもので、イングランドを征服したノルマンディー公ウィリアム(在位1066~1087)が2匹の獅子を用いたのがもととなり今日に至っている(フランス・ノルマンディーの紋は現在でも2匹の獅子)。さらに1837年から、スコットランドの獅子、アイルランドの竪琴(たてごと)が紋章に加えられた。フランス王の紋は青地にユリであるが、これは処女マリアの標章で、ルイ7世(在位1137~1180)のシールに現れたのが最初である。初め散らし模様であったが、シャルル5世(在位1364~1380)から3個と定められた。ドイツでは、ローマ皇帝の継承者としての神聖ローマ皇帝を表すため、1100年ごろから、古代ローマのシンボルである鷲を用いたが、現在のドイツでも国章として用いている。帝政ロシアでも、やはりローマ皇帝の後継者を呼称して、双頭の鷲を紋章とした。
都市の紋章として、ロンドンは聖ジョージの十字と、守護聖人聖ポールの剣、パリは古い河港を表すガレー船と、王室の「青地にユリ」の紋の組合せ、ジュネーブは神聖ローマ皇帝直属の管区を示す鷲と、守護聖人聖ピーターのシンボルである鍵(かぎ)の組合せである。
[高橋正人]
紋章は英語でコート・オブ・アームズcoat of arms、アームズarms、ヘラルドリーheraldryなどとよばれ、他の国ではアルムarmes(フランス語)、ステンマstemma(イタリア語)、ワッペンwappen(ドイツ語)などとよばれる。また正規の紋章と並行的に、バッジbadgeとよぶ標章が用いられる。コート・オブ・アームズの形式は、初期には盾形(シールドshield、エスカチオンescutcheon)の中に獅子などの形を置くか、盾形を分割して色を施すだけであったが、しだいに周りに付属物が加えられ、イギリス王室などの紋章では、盾形を中心として、上にヘルメット、さらにその上に花環または王冠、その上にクレスト、ヘルメットの両側にマントリング、盾形の両側にサポーターズ(獣あるいは人物など)、下にモットー(標語)という形が用いられ、これが標準的形式となっている。盾形の紋はもと一つであったが、結婚とか、他国を領土に加えるなどによって、盾形の中を分割して、他の紋を加えることが行われている。紋章は家族が同じ形を用いるが、長男は櫛(くし)形、次男は三日月というように、ディファレンスとよぶしるしを付加して区別している。
バッジには紋章の一部、または別の形が用いられる。イギリスでは、イングランドがバラ、スコットランドがアザミ、ウェールズが赤いドラゴン、アイルランドがクローバまたは竪琴をバッジとし、ばら戦争で有名なヨーク家は白バラ、ランカスター家は赤バラである。またポルトガルのエンリケ航海王子は天球儀をバッジとした。近代の軍隊では、連隊ごとにバッジを用いることが一般化されている。
紋章には職種、身分を示すものがある。聖職者の紋には、帽子と房が加えられ、身分によって帽子の色が違い、高級職ほど房の結び目が多い形式である。また近世の高級官吏、軍人には、各自の紋の盾形に、役職を示すシンボルを加えた紋章がある。
[高橋正人]
『沼田頼輔著『日本紋章学』(1928・明治書院)』▽『ヴァルター・レオンハード著、須本由喜子訳『西洋紋章大図鑑』(1979・美術出版社)』▽『高橋正人著『図説シンボルデザイン――意味と歴史』(1981・ダヴィッド社)』
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