日本歴史地名大系 「水橋浦」の解説
水橋浦
みずはしうら
〔水橋浦の成立と支配〕
古代・中世から交通の要衝として知られた水橋は、慶長(一五九六―一六一五)頃には水橋川右岸に東水橋村、左岸に西水橋村が集落を形成し、同一三年に西水橋村で検地が行われた(「東水橋旧記」富山市水橋郷土史料館蔵)。明暦二年(一六五六)の村御印留では両水橋村は水橋浦と統合され、無高所として小物成は地子銀七六八匁・浦役四二七匁・鮭役一九九匁・鱒役七三匁・網役六八匁・鰤役七貫六四〇匁・外海船櫂役一貫一九〇匁・猟船櫂役八六〇匁であった。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では同じく水橋浦として、小物成は地子銀九一三匁・浦役銀四二七匁・鮭役二〇〇匁・鱒役七四匁・網役五一匁・鰤役三五八匁・外海船櫂役銀一貫五九六匁・猟船櫂役五〇〇匁(三箇国高物成帳)。小物成の大部分を廻運業と漁業関係が占める当浦は、新川郡固有の浦を裁許する浦方十村の支配下に置かれた。万治三年(一六六〇)より
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報