日本歴史地名大系 「水海道村」の解説
水海道村
みつかいどうむら
戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「水かへとのかうふきあけかうやまて 六拾貫文 御年貢銭 斗物百廿俵」とみえ、また天正二年(一五七四)の下妻城主多賀谷重経と小田原北条氏の戦いについて「多賀谷旧記」には「南兵二百騎出城、右花島村備守禦勢、然トモ重経使渡辺周防将トシテ副飯沼郷士、経間道飯沼下流或曰仁連村焼撃湯田砦殺喜藤次、重経ハ越水海道向乾方」とある。寛永八年(一六三一)には当村の紋三郎に常陸
水海道村
みずかいどうむら
水海道村
みつかいどうむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報