水海道村(読み)みつかいどうむら

日本歴史地名大系 「水海道村」の解説

水海道村
みつかいどうむら

[現在地名]水海道市もと町・ほん町・亀岡かめおか町・天満てんま町・さかえ町・たから町・諏訪すわ町・橋本はしもと町・森下もりした町・淵頭ふちがしら町・高野こうや町・山田やまだ

鬼怒きぬ川東岸に所在。東南部を小貝こかい川が流れ、東は新井木あらいぎ村。江戸時代には鬼怒川の水海道河岸が栄え、集落中央をおお(下妻街道)が南北に貫通している。

戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「水かへとのかうふきあけかうやまて 六拾貫文 御年貢銭 斗物百廿俵」とみえ、また天正二年(一五七四)の下妻城主多賀谷重経と小田原北条氏の戦いについて「多賀谷旧記」には「南兵二百騎出城、右花島村備守禦勢、然トモ重経使渡辺周防将トシテ副飯沼郷士、経間道飯沼下流或曰仁連村焼撃湯田砦殺喜藤次、重経ハ越水海道向乾方」とある。寛永八年(一六三一)には当村の紋三郎に常陸谷原やわら開発の功労として屋敷分一町歩が与えられたことが伊奈忠治除地状(秋場家文書)にみえ、享保七年(一七二二)の市場穀物取引出入文書(同文書)は「当村之儀寛永七年伊奈備前(ママ)守様御検地御座候、其節より居屋敷宿割ニ罷有、上宿中宿新町と申南北一続ニ御座候」と、村落形成の様子を伝えている。

水海道村
みずかいどうむら

[現在地名]岐阜市水海道一―五丁目

岩地いわち村の北・東に位置し、南は高田たかだ村。集落は南北中央にある。慶長郷帳および元和二年(一六一六)の村高領知改帳に村名がみえ、高二八二石余。正保郷帳では田一二一石余・畑一五九石余・芝野一石余。領主変遷前一色まえいつしき村と同じ。加納藩領当時、家中知行渡方帳(森文書)によれば家臣五名の給地。当村の清右衛門は味噌・溜商人で、岐阜町の商人と取引があった(天保八年「年賦済証文」清水文書)

水海道村
みつかいどうむら

[現在地名]結城市水海道みずかいどう

芳賀崎はがさき村の東に位置。東を鬼怒きぬ川が南流。天正一八年(一五九〇)九月の山川晴重宛の豊臣秀吉宛行状(山川修二文書)に「五拾貫五百文 水皆道」とみえ、山川氏領であった。慶長六年(一六〇一)から天領となるが、元和元年(一六一五)から寛永一二年(一六三五)は山川藩(水野氏)領、その後下野壬生藩(三浦氏、正徳二年から鳥居氏)領となり、明治に至る(東京都立大学蔵水野家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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