水科古墳群(読み)みずしなこふんぐん

日本歴史地名大系 「水科古墳群」の解説

水科古墳群
みずしなこふんぐん

[現在地名]三和村水科

高田たかだ平野東端、北西流する飯田いいだ川右岸の扇状地頂部にある後期古墳群。約一ヘクタールの狭い地域に大小三四基の古墳が群集する。昭和八年(一九三三)発掘。同五〇年圃場整備工事開始に伴い発掘調査が実施された。墳丘の上部は開田に際して破壊削平されているが、基底部の保存はきわめて良好である。最大の石室をもつ第二一号墳は、羨道部入口の左右一メートル外端から墳丘域を示す周溝を有し、羨道部外端から飯田川の河原石を墳丘面に外護列石状に積上げる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「水科古墳群」の解説

みずしなこふんぐん【水科古墳群】


新潟県上越市水科にある後期古墳群。頸城(くびき)平野の東端近くに所在する、飯田川東岸の扇状地上に営まれており、約1haという狭い地域内に32基の横穴式石室のある古墳が群集している。古墳はすべて墳丘が削平されているが、大部分円墳であったことが確認されている。第19号古墳には、羨道(せんどう)入り口の左右1m外脇から墳丘域を示す周溝がみられ、第21号古墳では羨道外端から河原石を墳丘裾に列石状に積み、ともに円墳であることを示している。横穴式石室の規模は多様であるが、墳丘基底部の構造をよくとどめ、石室床面の敷石、羨道閉塞などの実際をよく伝えており、この地域の動向をきわめて具体的にうかがわせていることから、1976年(昭和51)に国の史跡に指定された。JR信越本線高田駅から車で約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の水科古墳群の言及

【三和[村]】より

…上越市に隣接することから高田,直江津への通勤者も多い。1975年に発掘された水科(みずしな)古墳群(史)がある。【佐藤 裕治】。…

※「水科古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」