永岡久茂(読み)ながおかひさしげ

改訂新版 世界大百科事典 「永岡久茂」の意味・わかりやすい解説

永岡久茂 (ながおかひさしげ)
生没年:1841-77(天保12-明治10)

幕末・維新期の志士会津藩士で思案橋の変の中心人物。字は子明,通称は敬二郎,号は磐湖。昌平黌(こう)に学び,とくに弁論や詩文に長じた。戊辰戦争では会津から越後戦線に参加,敗れて東京で謹慎を命じられた。1870年(明治3)斗南藩権少参事,ついで青森県権大属となる。74年,上京,同志海老原穆(ぼく)らと評論新聞社をおこし,また副島種臣板垣退助・林有造・大東義徹らと交友があった。76年,前原一誠萩の乱がおこるや,これに呼応して千葉県庁を襲い,佐倉鎮台兵を利用して事をおこそうとし,10月29日,同志18人と小網町思案橋から船に乗り,千葉に赴こうとして警吏に捕らえられた(思案橋の変)。翌77年鍛冶橋監獄で没。
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関連語 田中

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永岡久茂」の解説

永岡久茂 ながおか-ひさしげ

1840-1877 幕末-明治時代の武士,士族
天保(てんぽう)11年生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争では各地を転戦し,降伏後は江戸で謹慎。明治8年反政府系の「評論新聞」の創刊にくわわる。9年前原一誠の萩(はぎ)の乱に呼応し千葉での挙兵をくわだてたが,東京で官憲と衝突(思案橋事件)し負傷。明治10年1月12日獄中で死去。38歳。字(あざな)は子明。通称は敬二郎。号は磐湖。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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