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永岡久茂 ながおか ひさしげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

永岡久茂 ながおか-ひさしげ

1840-1877 幕末-明治時代の武士,士族。
天保(てんぽう)11年生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩士。戊辰(ぼしん)戦争では各地を転戦し,降伏後は江戸で謹慎。明治8年反政府系の「評論新聞」の創刊にくわわる。9年前原一誠の萩(はぎ)の乱に呼応し千葉での挙兵をくわだてたが,東京で官憲と衝突(思案橋事件)し負傷。明治10年1月12日獄中で死去。38歳。字(あざな)は子明。通称は敬二郎。号は磐湖。

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朝日日本歴史人物事典の解説

永岡久茂

没年:明治10.1.12(1877)
生年:天保11(1840)
幕末の会津藩(福島県)藩士,反明治政府の志士。陸奥国若松(福島県会津若松市)生まれ。藩校日新館,次いで江戸の昌平黌に学び経史に通じ,詩もよくした。戊辰戦争会津守城戦に敢闘,越後長岡に赴き河井継之助と軍議し,また日光街道で官軍と接戦した。降伏後,東京に収監されたが,明治3(1870)年,斗南藩(青森県)権少参事,廃藩後は青森県権大属,田名部(青森県)支庁長に任じた。しかし苛酷な会津処分は憤激に堪えず,7年海老原穆らと『評論新聞』を発刊して,薩南に退去した西郷隆盛一派の政見を支持して激しく政府を攻撃した。萩の前原一誠に呼応して政府転覆に決起せんとしたが事前に発覚して千葉思案橋で捕縛され,翌年獄中で没した。

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ながおかひさしげ【永岡久茂】

1841‐77(天保12‐明治10)
幕末・維新期の志士。会津藩士で思案橋の変中心人物。字は子明,通称は敬二郎,号は磐湖。昌平黌(こう)に学び,とくに弁論や詩文に長じた。戊辰戦争では会津から越後戦線に参加,敗れて東京で謹慎を命じられた。1870年(明治3)斗南藩権少参事,ついで青森県権大属となる。74年,上京,同志海老原穆(ぼく)らと評論新聞社をおこし,また副島種臣板垣退助・林有造・大東義徹らと交友があった。76年,前原一誠の萩の乱がおこるや,これに呼応して千葉県庁を襲い,佐倉鎮台兵を利用して事をおこそうとし,10月29日,同志18人と小網町思案橋から船に乗り,千葉に赴こうとして警吏に捕らえられた(思案橋の変)。

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