永田方正(読み)ナガタ ホウセイ

20世紀日本人名事典 「永田方正」の解説

永田 方正
ナガタ ホウセイ

明治期のアイヌ研究者,教育



生年
天保15年3月1日(1844年)

没年
明治44(1911)年8月22日

出生地
武蔵国南豊島郡青山百人町(東京都新宿区)

出身地
愛媛県

旧姓(旧名)
宇高 辰次郎

経歴
昌平黌に学び、文久元年伊予西条藩主の侍講となる。維新後、明治14年北海道開拓使に入るが、翌年開拓使が廃止され、函館県御用掛となりアイヌ人教育の調査を行う。これを機にアイヌ語の研究に関わる。函館商船学校、函館師範の教師を経て、19年北海道庁に入り、「北海道蝦夷語地名解」(24年刊)の編纂従事。その後、札幌農学校教師。42年上京し、坪井正五郎の紹介で東京高女で国文和歌などを教えた。著書に「北海小文典」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「永田方正」の解説

永田方正

没年:明治44.8.22(1911)
生年:天保15.3.1(1844.4.18)
明治期の教育者,アイヌ研究者。旧名は宇高辰次郎。西条藩士の子として,武蔵国南豊島郡青山百人町で生まれ,昌平黌で学ぶ。明治14(1881)年には函館師範学校4等教諭となり,翌年,遊楽部でアイヌ教育の調査を行う。これを機にアイヌ語研究にかかわり,『北海小文典』(1883),『北海道蝦夷語地名解』(1891)を著した。26年には北海道教育会の依頼で,岩谷英太郎と共に「あいぬ教育ノ方法」をまとめた。これは同化主義の立場からのアイヌ教育政策を理論的にも実践的にも方向づける役割を果たした。42年に離道するまでに札幌農学校などで「和漢学」を教授した。

(竹ヶ原幸朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永田方正」の解説

永田方正 ながた-ほうせい

1844-1911 明治時代の教育者,歴史家
天保(てんぽう)15年3月1日生まれ。江戸の昌平黌(しょうへいこう)にまなぶ。函館師範教師をへて,明治15年函館県御用掛となりアイヌ民族の教育にあたる。20年北海道庁にはいり,24年「北海道蝦夷語地名解」を編集,26年「あいぬ教育ノ方法」をまとめた。のち遺愛女学校,東京高女でおしえた。明治44年8月22日死去。68歳。江戸出身。旧名は宇高辰次郎。著作に「北海小文典」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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