北海道を中心にサハリン(樺太)や千島列島、東北北部で話されていたアイヌ民族の言葉。固有の文字を持たず、片仮名やローマ字で表記される。トナカイやラッコなどアイヌ語に由来する日本語の単語もある。主に3種類あったが、樺太アイヌ語と千島アイヌ語は消滅。残る北海道アイヌ語も、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「消滅の危機にある」とする約2500の言語や方言のうちの一つで、「極めて深刻」と位置付けられている。(ベネチア共同)
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アイヌ人が使用してきた言語。かつては東北,北海道,樺太南部,千島列島,カムチャツカ半島南端にわたって話されていたと推測されるが,現在では日常会話では用いられておらず,話し手はすべて日本語とのバイリンガルである。記録に残されている諸方言は,大きく北海道,樺太,千島に三分され,北海道方言については,さらに北部(宗谷),東部(釧路,北見,十勝,日高東部),中部(石狩,天塩),南部(日高西部,胆振),南西部(後志)の五つに区分することが考えられている。ただし,これらの方言区分は主に基礎語彙の違いに基づいてのものであり,文法的な観点からはまた別の区分が可能である。系統関係については,インド・ヨーロッパ語族,アルタイ諸語,オーストロネシア語族,日本語などさまざまな言語に結びつけられて論じられてきたが,これまでのところ系統不明の孤立言語とするのが一般的である。かつては,ニブヒ語(ギリヤーク語),ユカギール語など,シベリア,樺太の系統不明の諸言語とともに,旧アジア諸語の一つとして論じられることが多かった。文字記録は,17世紀以来日本人やヨーロッパ人の手になるものが残されてきたが,20世紀に入ってからはアイヌ人自身の手による記録も増え始め,現在ではローマ字や,片仮名に独自の工夫を加えた表記法で,数多くの出版物が刊行されている。とくに音節末子音をプ・ク・ムなどのカナ小文字で表す表記法はかなり定着しており,北海道ウタリ協会刊行のアイヌ語教科書《アコロ イタク》(1994)はその一つの統一方針を示したものとして参照されることが多い。ユカラ yukar(ユーカラ)などと呼ばれる叙事詩や神への祈詞などに用いられる言葉と,日常会話に用いられる言葉とは語彙や表現法に大きな差があり,前者を〈雅語〉,後者を〈口語〉あるいは〈日常語〉と呼んで区別しているが,かつて考えられていたように〈雅語〉イコール古語であるという考え方は現在とられていない。
母音はa,e,i,o,uの5,子音はp,t,k,c,s,h,m,n,r,y,w,’(喉頭音)の12とする説と,/’/を音素と考えず11とする説がある。音節構造は子音12音素説に立てば,北海道方言では子音+母音,子音+母音+子音の2種類のみ。樺太方言ではそれに子音+母音+母音(ただし同一母音)を加えた3種類だけである。音節末に立つp,t,kは,朝鮮語と同じく破裂を伴わない内破音。ただし,樺太方言ではそれがすべてhになっている。北海道方言の音節末のrはr+母音との聞き分けが日本語話者には難しく,母語話者である知里幸恵(1903-22)によってその区別が初めて明らかにされた。北海道方言では美幌,様似などの一部の方言を除いて高さアクセントの対立があるが,樺太では母音の長短がそれに対応しており,その点において古形を保っているとされる。
アイヌ語は基本的には接辞や助詞が自立語に接合・統合して文法関係を表す膠着語タイプの言語である。語順は日本語と同じく主語,目的語が動詞に先行し,修飾部が被修飾部に先行し,助詞類は自立語に後置する。ただし否定辞は日本語と異なり動詞に先行する。例:tan1 cape2 anakne3 ermu4 somo5 koyki6 cape7 ne8.(この1・猫2・は3・ネズミを4・獲ら6・ない5・猫7・だ8)。アイヌ語の品詞は大きく名詞,動詞,副詞,連体詞,接続詞,助詞,間投詞の七つに分けられる。動詞と形容詞の間に文法的な区別はなく,hure(赤い)などの形容詞的な意味を表すものはすべて自動詞として扱われる。名詞には性,数,格による区別はなく,その代り概念形と所属形の区別がある。所属形はある特定の対象にとって譲渡不可能な所属物であることを表す場合に用いる。たとえばseta(犬)は他人に譲渡することが可能なものであるから,〈誰それの犬〉という場合はkor(持つ)という動詞と概念形setaを組み合わせて-kor setaとするが,tek(手)は他人に渡してその人の手とすることはできないものであるから,〈誰それの手〉というときは-tekeheという所属形をとる。このような区別はツングース諸語やメラネシア諸語にも見られる。動詞には時制による変化はなく,その代り相(アスペクト)や法(ムード)を表す助動詞やそれに準ずる形式が発達している。一部の基本的な動詞には単複の区別があるが,フランス語などのように主語の単複に対応するもののほかに,目的語の単複やその動詞の表す動作が単数回行われるか複数回行われるかに対応するものもある。例:kamuy rayke(熊を・1頭殺した),kamuy ronnu(熊を・何頭か殺した)。
名詞,動詞,一部の副詞には,人称接辞が接頭または接尾して人称を表す。人称接辞には主格を表すものと目的格を表すものとがあり,他動詞にはその双方が同時に接合する。この主格・目的格が組み合わさった形式は方言によって大きな差がある。例:eci-kore(私があなたに・あげる)(沙流方言),e-kore-as(同)(幌別方言),ane-kore(同)(静内方言)。またcep ku-koyki.(魚を 私が-捕る)→ku-cepkoyki(私が-魚捕る)のように,目的語を動詞の中に取り込んで一語にすることが比較的容易にできる。この性質によって〈抱合語〉と呼ばれることがある。自動詞の主語や,まれに他動詞の主語も抱合することができる。もっぱら接尾辞によって動詞の派生を行う日本語と違って,接頭辞による派生がかなり自由であり,その接頭辞による派生と目的語や副詞的要素の抱合によって,かなり複雑な複合動詞を作ることができる。例:parkoinunnunte((子供にお乳の代りに)口を吸わせる)←par(口:目的語)ko(に対して:接頭辞)i(もの:接頭辞)nunnun(~を吸う:動詞)te(させる:接尾辞)。この点をとらえて〈輯合(しゅうごう)語〉〈複統合語〉などと呼ばれることがある。この性質は日常語より雅語において顕著である。
日本人(和人)との長い交渉関係を反映して,nuyto(縫糸),tokuy(親友,〈得意〉に由来),patci(鉢),tuki(杯),umma(馬)など,日本語からの借用語と見られる単語がかなり見られるが,日本語における漢語の影響と比べれば,その数は案外多くないといえる。ただし,信仰関係の語彙はnomi(祈る,上代語〈祈(の)む〉に由来),onkami(おがむ),nusa(祭壇,〈幣(ぬさ)〉に由来),takusa(清めの草束,〈手草(たくさ)〉に由来)など,日本語起源と見られるものが多数ある。しかし,人間以外の精神的存在を表すkamuyという語が日本語〈神〉に由来するかどうかなどまだ議論が必要な問題が多い。樺太方言にはtanku(100)などのツングース系の語,千島方言にはsukodena(牛),rosot(馬)などのロシア語から入った語が見られる。
アイヌ語最古の語彙集として知られるのは,1624年にローマで公刊されたイタリア人宣教師アンジェリスの報告書中のものである。また日本でも《松前の言》という著者不明の語彙集が1626-27年ころには成立していたとされる。1792年には蝦夷通辞上原熊次郎による《もしほ草》が成立。これは当時最大のアイヌ語辞書であるというばかりでなく,最上徳内を通じてシーボルトに紹介され,オーストリアのプフィッツマイヤーA.Pfizmaierによる世界初のアイヌ語文法書(1851)の主要なデータともなった。樺太方言についてはフランス人ラ・ペルーズが1787年に最初の語彙集を刊行し,1875年には今日に至るまで樺太方言最大の辞書である《アイヌ語ロシア語辞典》がロシア人医師ドブロトボルスキーM.M.Dobrotvorskiiの遺稿として刊行された。また,ポーランド人B.ピウスーツキは大量のアイヌの物語資料を収集し,その一部を《アイヌ人の言語とフォークロア研究資料》として1912年に刊行したばかりでなく,1900年代初頭には蠟管レコードにアイヌ語の音声も録音しており,近年その復元が行われた。
千島方言は1755年にロシア人クラシェニンニコフの《カムチャツカ誌》に発表されたのが最初の語彙集であり,その後1891(または92)年にポーランド人ディボフスキB.Dibovskiの語彙集が,1903年に鳥居竜蔵の資料が公刊された。北海道ではイギリス人宣教師J.バチェラーが1889年に《アイヌ・英・和辞典》の初版を刊行,1938年の第4版まで大幅に改訂を加え続け,当時の最も権威あるアイヌ語辞書となったが,その後知里真志保から厳しい批判を受けた。アイヌ語研究を科学的な言語学の領域に高めたのは金田一京助であり,《ユーカラ語法摘要》(1931)はその後のアイヌ語文法の基礎となった。知里真志保は《アイヌ語法概説》(1936,金田一京助と共著),《アイヌ語法研究》(1942)等によってさらに文法記述を精密化したばかりでなく,《分類アイヌ語辞典》(植物編1953,人間編1954,動物編1963)など多数の著作によって,アイヌ文化研究全般に多大な影響を与えた。第2次大戦後は服部四郎,田村すず子,浅井亨,村崎恭子,レフシングK.Refsing,切替英雄,中川裕,佐藤知己,奥田統己らの言語学者がアイヌ語研究に従事し,言語学的な記述の精度を高めた。また萱野茂はアイヌ人としての視点に立脚しながらアイヌ語の辞書・テキストを多数公刊し,アイヌ語の教育活動にも精力を注いだ。アイヌ語辞書として量的・質的に実用に耐えるものは,1990年以前にはバチェラー,知里のものに加えて服部四郎編《アイヌ語方言辞典》(1964)程度しかなかったが,1990年代半ばに中川《アイヌ語千歳方言辞典》(1995),萱野《萱野茂のアイヌ語辞典》(1996),田村《アイヌ語沙流方言辞典》(1996)が相次いで刊行され,その後も各地で語彙集・辞書が編纂されている。
アイヌ語の母語話者は高齢化によって年々減っているが,本格的に実態調査が行われたことはなく,また話す能力があってもそれを明らかにしていない潜在的話者の存在が無視できないため,その実数は不明である。しかし,他言語との比較から危機言語の指標としてmoribund(瀕死)の状況にあるとみなされている。一方,北海道ウタリ協会主催のアイヌ語教室,アイヌ文化振興・研究推進機構の各事業,大学を中心とした教育機関のアイヌ語授業科目の増加等によって,アイヌ語学習者人口は以前に比べ格段に増加していることも事実であり,アイヌ人のアイヌ語学習者数も増えている。アイヌ語関連の出版物も増加しており学習環境は整いつつある。一方,差別問題を含む社会的状況の改善等アイヌ語を話すための環境作りはいまだ不十分であり,アイヌ語の未来はそうした社会基盤の整備にかかっているといえる。
執筆者:中川 裕
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日本語とならび古来より日本列島で話される言語。北海道のアイヌ民族固有の言語。第二次世界大戦終結までは樺太(からふと)(サハリン)南部およびいわゆる「北方領土」でも話されていた。また本州東北地方北部では江戸時代まで、北千島列島では1884年の日本政府による強制移住まで話されていた。時代をさかのぼるとさらに広く分布していたことがわかっており、北はカムチャツカ半島南端から南は東北地方南部までアイヌ語による地名が残っている。現在は北海道に少数の話し手がいるだけで、日常生活では使用されていない。しかし近年アイヌ文化の保存・復興運動の機運が高まるなかで言語復興運動が続いており、わずかながら新たな話し手が育ちつつある。
[丹菊逸治]
伝統的には文字を用いないが、明治時代以降はローマ字、カタカナなどを用いて表記されることもある。カタカナ表記のさい、ローマ字表記のtuを表すのにトに半濁点を用いることがある。
[丹菊逸治]
地域的な広がりのわりには日本語ほどの方言差はない。北海道方言、樺太方言、北千島方言に大別される。そのうち北千島方言の話し手はすでに存在しないといわれている。なお、東北地方でも独自の方言があった可能性がある。これらのうち北海道方言がもっとも話者人口が大きく研究も進んでいる。
[丹菊逸治]
極東アジア北方の諸言語のなかでは比較的簡単な音韻体系をもつ。母音はa,e,i,o,uの五つ。北海道方言は高低アクセントをもつ。樺太方言には長母音と短母音の区別がある。子音はp,t,k,c,s,r,m,n,w,y,h,ʔ。日本語とほぼ同じだが、清濁の区別はない。音節構造も単純だが、日本語と異なりp,t,kなどで終わる閉音節をもつ。
[丹菊逸治]
語順はSOV(主語・目的語・動詞)であり、助動詞などの語順も日本語と似ているが、否定詞は動詞に前置される。日本語と異なり時制をもたない(動詞に現在形・過去形の区別がない)。núman sirpirka「昨日は晴れていた」tanto sirpirka「今日は晴れている」。形容詞と動詞の区別がない。たとえばporoは文脈により「大きい」と「大きくなる」の二つの意味をもつ。動詞にはかならず人称接辞がつく。ku-sina「私が・~をしばる」eci-sina「あなたたちが・~をしばる」あるいは「私があなたたちを・しばる」など。基本的な動詞には単複の語形変化をもつものがある。an「ある」oka「(複数のものが)ある」。基本的に接尾辞しかもたない日本語と異なり、接頭辞が発達している。sina「~をしばる」ko-sina「~に・~をしばる」yay-ko-sina「自分の体を・~に・しばる」。また接辞と動詞語幹の間に目的語などが挟み込まれることがある(目的語包合)。kina ku-kar「草を 私は・取る」に対して、ku-kina-kar「私は・草・を取る」そのため動詞が前後に長くなり、まるで文章のような単語ができることもある。si-e-apa-maka-yar「自分・について・戸を・開ける・させる」=「人に戸を開けてもらう」。
[丹菊逸治]
日本語における漢語ほど多くはないが、隣接諸言語との間に古い借用語がみられる。アイヌ語rakko→日本語「ラッコ」。日本語「杯(つき)」→アイヌ語túki。ニヴフ語tlangi→アイヌ語tunakay→日本語「トナカイ」。また日本語の「神(かみ)」とアイヌ語のkamuy「神/自然」など借用語かどうか判別できないほど古い共通語彙もある。
江戸時代には松前藩の政策によりアイヌ民族の日本語習得が阻害され、明治時代以降は逆に日本語の強要とアイヌ語への圧迫が行われた。文字を使用しない文化であったため、書物の翻訳を通じた語彙の増加もなかった。そのため近代的な語彙が不足している。たとえば時・分・秒といった単位を表す言葉だけでなく、「時間/時刻」という概念を表すぴったりの語そのものがないというケースもある。しかし、狩猟・漁労などに関する語彙は非常に豊かである。口承文学においては独特の語彙が用いられることもある。元来、造語能力の高い言語であり、語彙の全体像はつかめていない。
[丹菊逸治]
諸説あるが系統関係は不明である。類型論的には接尾辞の発達したトルコ語、モンゴル語などのいわゆるアルタイ諸語的な特徴と、接頭辞の発達、名詞包合などチュクチ語などの古アジア諸語的な特徴の両方をもつ。
[丹菊逸治]
もっとも古いアイヌ語の記録は、不明確な日本古代の資料、元代の中国資料にみられる人名を除けば、17世紀のキリスト教宣教師アンジェリスによるものである。ほぼ同時期に日本の蝦夷通詞(えぞつうじ)による語彙集が成立している。日本の鎖国が終わり19世紀になると宣教師バチェラーによる文法記述が行われ、辞書が刊行されている。20世紀になると金田一京助が本格的な研究をはじめ、知里真志保(ちりましほ)に至って現代的な研究の基礎がつくられた。
[丹菊逸治]
『『知里真志保著作集』全6巻(1973・平凡社)』▽『『金田一京助全集 第5~12巻』(1993・三省堂)』▽『ポン・フチ著『アイヌ語は生きている』(1976・新泉社)』▽『ポン・フチ著『ユーカラは甦える』(1978・新泉社)』▽『ポン・フチ著『ウレシパモシリへの道』(1980・新泉社)』▽『北海道ウタリ協会編『アコロイタク アイヌ語テキスト1』(1994・クルーズ)』▽『中川裕・中本ムツ子著『エクスプレス アイヌ語』(1997・白水社)』▽『知里むつみ・横山孝雄著『アイヌ語会話イラスト辞典』(1988・窩牛社)』▽『服部四郎編『アイヌ語方言辞典』(1964・岩波書店)』▽『J・バチラー著『アイヌ・英・和辞典』第4版(1938・岩波書店)』▽『知里真志保著『分類アイヌ語辞典』(『知里真志保著作集』別巻Ⅰ・Ⅱ所収・1975~1976・平凡社)』▽『中川裕著『アイヌ語千歳方言辞典』(1995・草風館)』▽『萱野茂著『萱野茂のアイヌ語辞典』(1996・三省堂)』▽『田村すず子著『アイヌ語沙流方言辞典』(1996・草風館)』▽『村崎恭子著『カラフト・アイヌ語』(1976・図書刊行会)』▽『久保寺逸彦著『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』(1977・岩波書店)』▽『知里幸恵著『アイヌ神謡集』(1978・岩波文庫)』▽『知里真志保『アイヌ民譚集』(1981・岩波文庫)』▽『田村すず子編『アイヌ語音声資料1~11』(1984~ ・早稲田大学語学教育研究所)』▽『萱野茂著『カムイユカラと昔話』(1988・小学館)』▽『田村すず子著「アイヌ語」(『言語学大辞典 第1巻 世界言語篇(上)』1988・三省堂)』▽『片山龍峰編『カムイユカラ』(1995・片山言語文化研究所)』▽『上田トシ著『上田トシのウエペケレ』(1997・アイヌ民族博物館)』▽『萱野茂著『萱野茂のアイヌ神話集成』全10巻(1998・小学館)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アイヌが母語としている言語。系統的には不明とされる。樺太(からふと)方言・千島方言・北海道方言に大別され,このうち千島方言は言語伝承が途絶え,樺太方言も話し手が少なくなったといわれる。文字(文語・雅語)がなく,日常語(口語)として伝えられているが,北海道方言は伝承者も現存し,近年はアイヌ語を学ぶ者もふえているところから,その復興運動が盛んになりつつある。日本語との接触が長く相互に借用された語彙(ごい)が多い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
… 数詞の構成は,日本語や英語などでは十進法であるが,英語でも11eleven,12twelveのあとは13thirteen,14fourteen…となっていくところに十二進法が,20をscoreといい,twoscore,threescore…が40,60…を表している例に二十進法の姿がうかがわれる。アイヌ語も二十進法の一例とされ,30=2×20-10,40=2×20,50=3×20-10,…,100=5×20の表現形式をとっていて減法の例でもある。フランス語は,80quatre‐vingtsが4×20,90quatre‐vingts‐dixが4×20+10でそのなごりをとどめる一方,20vingt,30trente,40quarante,50cinquante,60soixanteといいながら70soixante‐dixは60+10となるので六十進法のなごりをもとどめている。…
…アイヌの叙事詩ユーカラの伝承者として有名な金成(かんなり)マツをおばとし,《アイヌ神謡集》(1923)の知里幸恵(ゆきえ)を姉として,現在の北海道登別市に生まれた。金田一(きんだいち)京助の文法を出発点としながら独自のアイヌ語文法体系を構築し,またJ.バチェラーや永田方正など先人のアイヌ語,地名研究を鋭く批判した。その《分類アイヌ語辞典》(〈植物篇〉1953,〈人間篇〉1954,〈動物篇〉1963)は,アイヌ文化研究者にとって必携の書となっている。…
※「アイヌ語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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