江崎善左衛門(読み)えざきぜんざえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「江崎善左衛門」の意味・わかりやすい解説

江崎善左衛門
えざきぜんざえもん
(1593―1675)

近世初期の治水新田開拓功労者。尾張(おわり)国春日井(かすがい)郡小牧(こまき)村(現、愛知県小牧市)の郷士。幼名新四郎、了也(りょうや)と称した。父善左衛門は織田家旧臣といい、名古屋から中山道(なかせんどう)へ通じる木曽(きそ)街道小牧宿の開設に尽力本陣を勤めた。1633年(寛永10)上末(かみずえ)村の郷士鈴木久兵衛(生没年不詳)らとともに6名で、尾張藩の許可を得て入鹿池(いるかいけ)を築造、大いに新田を開いた。彼らはこの功により苗字(みょうじ)帯刀を許され、入鹿六人衆とよばれた。木曽川の分流木津(こっつ)川、春日井原の開発も行った。墓所は小牧西林寺(さいりんじ)。1928年(昭和3)贈従(じゅ)五位。

[林 董一]

『『愛知県史 第2巻』(1935・愛知県)』『『新編愛知県偉人伝』(1934・愛知県教育会/1979・愛知県郷土資料刊行会)』

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朝日日本歴史人物事典 「江崎善左衛門」の解説

江崎善左衛門

没年:延宝3.3.26(1675.4.20)
生年文禄2.5.5(1593.6.4)
尾張入鹿新田(愛知県犬山市)の開発者。名は了也。父善左衛門宗度は織田家,徳川家に仕え,木曾街道整備に尽力した。了也は寛永4(1627)年に家督を相続すると翌年,灌漑用水入鹿池の築造を落合新八郎ら同志5人と共に願い出,同9年に着工,翌年完成。新田の石高は6838石余(1662年の検地),入鹿池より助水される本田12万石におよんだ。池完成後は同所新田頭として開発百姓誘致と監督に当たり,藩主徳川義直により苗字帯刀を許され,小牧原新田に10石の除地(年貢免除地)を下付された。さらに慶安3(1650)年に先の同志5人と木津用水(犬山市~小牧市)を,また寛文4(1664)年には分流新木津用水(小牧市~春日井市)を完成させた。この功で翌年,尾張藩から苗字帯刀より格式の高い宗門自分一札を許された。<参考文献>『小牧市史』,大石慎三郎「入鹿池新田の成立」(『徳川林政史研究所研究紀要』1968年3月号)

(林順子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江崎善左衛門」の解説

江崎善左衛門 えざき-ぜんざえもん

1593-1675 江戸時代前期の治水家。
文禄(ぶんろく)2年5月5日生まれ。尾張(おわり)春日井郡小牧村(愛知県小牧市)の郷士。寛永10年有志5人とともに灌漑(かんがい)用溜池(ためいけ)の入鹿(いるか)池(犬山市)を築造。さらに慶安3年古木津(ふるこっつ)用水,寛文4年新木津用水を完成させ,新田を開発した。延宝3年3月26日死去。83歳。名は了也。

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367日誕生日大事典 「江崎善左衛門」の解説

江崎善左衛門 (えざきぜんざえもん)

生年月日:1593年5月5日
江戸時代前期の尾張入鹿新田の開発者
1675年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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