オランダ東インド会社(読み)オランダヒガシインドガイシャ

デジタル大辞泉 「オランダ東インド会社」の意味・読み・例文・類語

オランダ‐ひがしインドがいしゃ〔‐ひがし‐グワイシヤ〕【オランダ東インド会社】

1602年、オランダの諸会社が合同で設立した会社。政府の保護のもとに、ジャワ島を中心にして、独占的に香料貿易や植民地経営に当たった。1799年解散。

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共同通信ニュース用語解説 「オランダ東インド会社」の解説

オランダ東インド会社

東洋進出を目指し、オランダが1602年に設立した貿易会社。日本や台湾、インドネシアなどに商館を置き、欧州の主要な輸入品である香料を集める拠点とした。日本では09年、江戸幕府から貿易の許可を受けて平戸(長崎県)に商館を設置したが、鎖国政策に伴って41年、出島へ移転させられた。1799年に解散した。

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精選版 日本国語大辞典 「オランダ東インド会社」の意味・読み・例文・類語

オランダ‐ひがしインドがいしゃ‥ひがしインドグヮイシャ【オランダ東印度会社】

  1. 東洋貿易に従事していたオランダの諸会社が合同して、一六〇二年に設立した会社。正式名は「連合ネーデルランド東インド特許会社」。株式会社の起源といわれる。ジャワバタビアジャカルタ)に総督府を置き、貿易独占権のほか、外交・軍事行政権を与えられた。一七九九年解散。

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百科事典マイペディア 「オランダ東インド会社」の意味・わかりやすい解説

オランダ東インド会社【オランダひがしインドかいしゃ】

1602年,オランダのインド,東南アジア各地での貿易独占,権益保護を目的として結成された会社。Vereenighde Oost Indische Compagnie。密貿易を主としていた諸企業を統合。バタビア(現在のジャカルタ)を拠点に香辛料の貿易を中心とし,社員による植民地支配を強行し,オランダの東洋支配の中心となった。18世紀末から英国の進出,原住民の反抗,社員の腐敗により急速に衰え,1798年解散を宣言,1800年実質的に解体した。この会社は世界最初の株式会社と見なされている。→オランダ領東インド
→関連項目アジアアムステルダムアンボン事件イギリス東インド会社インドネシアオーステンデオランダオランダ商館オランダ西インド会社ジャカルタジャワ[島]スラウェシ[島]ゼーランディア城台湾ベームステル干拓地マタラム南アフリカ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オランダ東インド会社」の意味・わかりやすい解説

オランダ東インド会社
オランダひがしインドがいしゃ
Vereenigde Oost-Indische Compagnie; Dutch East India Company

1602年,東洋貿易を目的とする諸会社を合同して設立された株式会社。元来オランダ商人はリスボンでバルト海の物産と交換に東洋の物産を入手していたが,スペインの圧力が増大したため,直接東洋諸地域との取引を望むようになり,1594年アムステルダムに遠国会社が設立されるとともに,コルネリス・ド・ハウトマン指揮の第1回商船隊が派遣された。その後同種のいわゆる「先駆諸会社」がオランダ各地に続々と設立されたが,その乱立,競争の弊害を除去するため,議会の要望により,1602年これら諸会社をすべて合併する連合東インド会社,すなわちオランダ東インド会社の結成をみるにいたった。同社は政府から東洋貿易の独占権を与えられたほか,東洋諸国と条約を締結し,城塞を築き,軍隊を養成し,文官を任命するなどの権限を与えられ,いわば政治的・軍事的国家権力の代行機関となった。同社は 19年にジャワ島のバタビア (のちのジャカルタ) に根拠地をおき,ポルトガルの勢力を駆逐し,イギリス勢力を押えて香料貿易や植民地経営に成功し,17世紀なかば頃にはオランダ東洋貿易の黄金時代を迎えた。しかし 18世紀末にいたって,イギリスの圧迫を受け,植民地経営にも破綻を生じ,1798年解散した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「オランダ東インド会社」の解説

オランダ東インド会社
オランダひがしインドがいしゃ

1602年オランダ国内の諸航海会社を統合して設立されたアジア貿易のための特許会社。正式には連合オランダ東インド会社と称した。本国の議会によりアジア貿易の独占権とともに,外交・軍事・行政権を賦与された。09年初代総督が任命され,19年にはバタビア(現,ジャカルタ)に東インド総督府がおかれた。日本からペルシアに至るアジア各地に商館を開き,日本からは金・銀・銅などをアジア・ヨーロッパへ輸出したが,18世紀に入ると利益が減少。このため経営がしだいに悪化し,1798年活動を停止,99年末解散。

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改訂新版 世界大百科事典 「オランダ東インド会社」の意味・わかりやすい解説

オランダ東インド会社 (オランダひがしインドかいしゃ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オランダ東インド会社」の意味・わかりやすい解説

オランダ東インド会社
おらんだひがしいんどがいしゃ

東インド会社

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旺文社世界史事典 三訂版 「オランダ東インド会社」の解説

オランダ東インド会社
オランダひがしインドがいしゃ

東インド会社(オランダ)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「オランダ東インド会社」の解説

オランダ東インド会社(オランダひがしインドがいしゃ)

東インド会社

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世界大百科事典(旧版)内のオランダ東インド会社の言及

【大航海時代】より

…第1回のオランダ船隊は1596年にジャワのバンテンに到着し,コショウを積荷にして帰国した。その後多くの会社が組織され,多くの船隊がアジアに派遣されたが,1602年になってこれが統合されて連合東インド会社(オランダ東インド会社)が設立された。会社は初めモルッカ諸島を中心として活動していたが,19年にJ.P.クーンによって現在のジャカルタの地に根拠地が建設され,バタビアと命名された。…

【マレーシア】より

…ムラカ王国はジョホールに移り,ジョホール王国となった。ジョホール王国は国際貿易で繁栄したが,この間にポルトガルの植民地であったムラカは1641年にオランダ東インド会社に占領された。18世紀に入るとスラウェシからのブギス族の移住もあって,半島にジョホール,パハン,クランタン,トレンガヌ,ペラ,ケダ,スランゴールの諸王国が分立した。…

※「オランダ東インド会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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