江戸狩野(読み)えどがのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「江戸狩野」の解説

江戸狩野
えどがのう

狩野探幽以後江戸で活躍した狩野派京狩野に対して江戸狩野と呼ぶ。正信に始る狩野派は京都を中心に活躍していたが,江戸幕府成立後,長信,光信,孝信らが徳川氏に出仕。その後探幽は元和3 (1617) 年幕府御用絵師となり,同7年江戸鍛冶橋門外に屋敷を賜わって鍛冶橋狩野創始。次いで尚信,安信も寛永年間 (24~44) に幕府に仕えてそれぞれ屋敷を拝領し,木挽町狩野中橋狩野を興した。これに浜町狩野を加えた4家は奥絵師と呼ばれ,幕府絵師の筆頭的地位を保ち,その下に分家門人による表絵師や町狩野があった。江戸狩野は幕藩体制に組込まれて,長く画壇の中心であったが,その画風は次第に形骸化した。

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精選版 日本国語大辞典「江戸狩野」の解説

えど‐かのう【江戸狩野】

〘名〙 狩野派のうち江戸で御用絵師として活躍した画家の総称。京狩野に対して呼ばれ、特に探幽の鍛冶橋(かじばし)家、尚信の木挽町家、安信の中橋家、常信次子の浜町家の四家が有名。

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デジタル大辞泉「江戸狩野」の解説

えど‐かのう【江戸狩野】

江戸で活躍した狩野派諸家の総称。徳川幕府成立とともに狩野探幽が京都から江戸に移って、その基礎を築いた。→京狩野

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世界大百科事典内の江戸狩野の言及

【狩野探幽】より

…江戸初期の画家で江戸狩野の確立者。狩野孝信の長男で,永徳の孫にあたる。…

【狩野派】より

…尚信は30年に竹川町に屋敷を拝領し,子の常信のときに木挽町に移ったので木挽町狩野家と呼ばれ,宗家の安信は寛永年間(1624‐44)中橋狩野家をひらいた。ここに狩野家の中心は江戸に移り,山楽系の京狩野に対して江戸狩野と呼ばれる。この中では木挽町家が江戸時代を通じて栄えたが,この3家に常信の次男の岑信(1662‐1708)が分家した浜町狩野家を加えた4家が,後に奥絵師として幕府の機構に組み込まれた。…

※「江戸狩野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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