出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…探幽とともに日光東照宮本殿や聖衆来迎寺の障壁画を描く。彼が基礎を作った木挽町狩野は子の常信がさらに発展させ,この子孫が江戸狩野の中でも最も繁栄した。尚信の画風には,兄探幽の創始した江戸狩野様式の影響を深く受けながらも,一種文人的な情趣が認められる。…
…探幽は21年に幕府から鍛冶橋門外に屋敷を拝領したので,後に鍛冶橋狩野家と呼ばれた。尚信は30年に竹川町に屋敷を拝領し,子の常信のときに木挽町に移ったので木挽町狩野家と呼ばれ,宗家の安信は寛永年間(1624‐44)中橋狩野家をひらいた。ここに狩野家の中心は江戸に移り,山楽系の京狩野に対して江戸狩野と呼ばれる。…
※「木挽町狩野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
福岡県福岡市博多区の櫛田神社の夏祭り。壮麗な山笠で知られる。今日,山笠には飾り山笠と舁き山笠(かきやまがさ)の 2種類がある。明治時代に電線が架設されて以降,物語場面の人形などを飾りつけた高さ 15m...