江木村
えぎむら
[現在地名]久井町江木
莇原村の西南にあり、「恵木村」とも書く。御調川(久井川)が莇原村から西流して当村の北で南に流れを変え、東の吉田村から西流する流れを合わせて下津村に至る。吉田村からの川沿いの丘陵面には古墳前期の鷹ノ巣古墳のほかに鬼面窪古墳・高城元遺跡、御調川東側丘陵から丹賀遺跡・太郎丸古墳、西側丘陵から毘沙門古墳・黄番谷古墳(三基)・清宗古墳・中通古墳などがある。当地は杭庄の中心と考えられ、慶長三年(一五九八)八月一五日の備後国御調郡杭稲荷社御祭御頭注文(山科文書)に地頭分として記す名のうちに当村内の地名が確認できる。
元和五年(一六一九)の備後国知行帳は「ゑ木村」と記し、五八八・六〇九石。
江木村
えぎむら
赤城山南麓の傾斜地、北部は渓谷が深く森林が多く、南部はやや平坦で田野が開ける。南北に細長く、北は荻窪村、東は富田村、南は女屋村、西は堤村・上野村。村域北端を前橋と大胡(現勢多郡大胡町)を結ぶ道が東西に通る。慶長二年(一五九七)の検地帳写(町田文書)が一部分であるが残り、「うはふところ」「とみおか」がみえ、快乗院分・玉蔵院分の田畑合計二二町九反余が記される。同五年大胡城主牧野康成は快乗院宛に「江木之郷田畑あらくの地」を切開くよう命じている(文化三年「御墨印御伺日記」市史保管写本)。
江木村
えぎむら
[現在地名]高崎市江木町
高崎城下東方に広がる沖積平野にある。貝沢村の南にあたり、西は赤坂村・飯塚村と城下。北爪将監への年未詳一二月八日付北条氏邦朱印状(北爪文書)に「縁喜之郷代官式、被仰付候」とみえる。「縁喜之郷」は当地か。群馬郡に属し、元和五年(一六一九)安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)では下郷に村名がみえる(高崎藩領)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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