日本歴史地名大系 「池の屋形跡」の解説 池の屋形跡いけのやかたあと 長崎県:下県郡厳原町府中城下今屋敷町池の屋形跡[現在地名]厳原町今屋敷対馬島主宗氏が府中(ふちゆう)に築いた居館の跡。八幡宮の南東、馬場(ばば)筋に抜ける一(ひと)ッ橋(ばし)通で、池の神(いけのかみ)と称した辺りである。大永六年(一五二六)宗家一五代の宗盛賢(将盛)が府城として池の屋形を造営したという(宗氏家譜)。当時は海に臨む砂洲地で、池とよばれる潟があったらしい。屋形の造営に伴って開発が進められた一帯を今屋敷(いまやしき)という。享禄元年(一五二八)一〇月七日、宗盛治が軍勢を率いて豆酘(つつ)を経て州府に入り、府城の攻略に成功した。盛治は豆酘郡主盛世の裔で、事の起りは盛賢の失政にもよるが、宗氏一族の内紛であった。陥落後、盛賢は国府平の印鑰(こうびらのいんやく)神社に逃れ、さらに村里に逃れたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by