日本歴史地名大系 「池底村」の解説 池底村いけぞこむら 三重県:三重郡菰野町池底村[現在地名]菰野町池底閏田(うるだ)村の北東に位置し、北は朝明(あさけ)郡と郡界をなす。四日市宿より田光(たびか)村に至る道が村内を走る。「神鳳鈔」に「二宮池庭(底)御厨六丁、各三石」と出る。江戸初期まで村落は海蔵(かいぞう)川の南岸にあったが、同川の度々の氾濫と、田畑が北方で耕作に不便なため、万治年間(一六五八―六一)に海蔵川を越え、北方へ村越しした(「服部家由緒書」服部家蔵)。文禄年間(一五九二―九六)の戸数は七―八、人口約三〇であった(同前)。江戸時代を通じて菰野藩領。文政五年(一八二二)より一〇ヵ年間、勤高五一石で四日市宿の代助郷を勤めた(旧版「四日市市史」)。この間に新田開発が進み、新田高も約九二石となり、文政二年には文政池が完成し、人口も増加した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by