池田垣内村(読み)いけだかいとむら

日本歴史地名大系 「池田垣内村」の解説

池田垣内村
いけだかいとむら

[現在地名]那賀町藤崎ふじさき

紀ノ川の北岸、名手なて川が紀ノ川に流入する付近の西側に位置する。東は名手川を境に後田しへだ村、南の紀ノ川対岸は安良見あらみ(現粉河町)、西は東野ひがしの(現粉河町)。「続風土記」は「此地に古は池あり、池田垣内の名これより起る」と記す。中世粉河こかわ庄に含まれ、同庄を構成した五ヵ村のうちひがし村に属した。南北朝から室町時代にかけて東村には惣が成立していた(粉河町の→東野村。東村における惣としての結合は、近世に東村が東野村・井田いだ(現粉河町)、池田垣内村の三村に分れ、しかも当村が和歌山藩領名手組に属して伊都いと郡代官所の管下に組込まれ他の二村粉河組とされてからも、その関係は東野村鎮座の若一王子神社の宮座として維持され、現在まで続いている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む