出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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池田王
生年:生没年不詳
奈良時代の皇族,官人。舎人親王の子。天武天皇の孫。天平7(735)年無位から従四位下,天平勝宝6(754)年従四位上に昇る。畿内巡察使,弾正台の長官,講梵網経の元興寺使を歴任。天平宝字1(757)年道祖王が皇太子の地位を追われると,皇太子候補のひとりに推されたが,孝行に欠けるとして退けられた。同年刑部卿となり,同2年摂津大夫従三位で,伊勢神宮への使者となる。同3年淳仁天皇(大炊王)の兄弟であるため親王となり,三品に叙せられ糺政台(弾正台の名称変更)の長官となる。同7年その子5人は母が橘奈良麻呂の一族であるので,御長真人姓を賜り臣籍に降下。藤原仲麻呂の乱(764)ののち淳仁天皇が廃されると,親王から王にもどされ土佐国(高知県)に配流。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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池田王 いけだのおう
?-? 奈良時代,舎人(とねり)親王の王子。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年(757)道祖(ふなど)王にかわる皇太子の候補に推されたが,孝心にかけるとしてしりぞけられた。天平宝字3年淳仁(じゅんにん)天皇の兄弟として親王となるが,8年藤原仲麻呂(なかまろ)の乱に連座して土佐に流された。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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