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池田綱政 いけだ つなまさ

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美術人名辞典の解説

池田綱政

江戸中期の備前岡山藩主。池田光政の長男。初名は興輝。寛文12年家督を継ぐ。禁裏造営等に努め、和歌・絵にも巧みであった。正徳4年(1714)歿、77才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池田綱政 いけだ-つなまさ

1638-1714 江戸時代前期-中期の大名。
寛永15年1月5日生まれ。池田光政の長男。寛文12年備前岡山藩主池田家2代。弟政言(まさこと)・輝録(てるとし)に新田4万石を分与して2支藩をたてる。津田永忠に命じて新田開発を推進,菜園場(のちの後楽園)を造営させた。能楽,和歌,絵画などをたしなむ文人大名として知られた。正徳(しょうとく)4年10月29日死去。77歳。

出典|講談社
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世界大百科事典内の池田綱政の言及

【岡山藩】より

…備前国(岡山県)岡山に藩庁を置いた外様大藩。歴代藩主は池田氏で,備前一国28万9000石と備中領分2万6000石を合わせて31万5000石を領知した。戦国大名宇喜多秀家が関ヶ原の戦で没落し,代わって入城した小早川秀秋も,1602年(慶長7)卒去し無嗣のため断絶した。宇喜多・小早川両氏とも備前・美作両国などで約50万石を領したが,その末路は悲運であった。03年岡山城主になった池田忠継(姫路城主池田輝政の次男)以降,12代268年にわたって池田氏による領知が廃藩までつづいた。…

【後楽園】より

…なお,庭園の東隣にあった後楽園スタジアム(野球場)は1937年に建設されたが,87年に解体され,その隣に日本初の屋根付き球場〈東京ドーム〉が88年建設された。
[岡山後楽園]
 1686年(貞享3)に備前岡山藩主池田綱政が家老津田左源太永忠に命じ14年の歳月をかけて完成。多くの茶亭が早期に完成し,御茶屋,御茶屋屋敷と称され,また城の北後方に位置したので御後園,農本政策を示す意味で菜園場ともいわれていた。…

※「池田綱政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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