日本大百科全書(ニッポニカ) 「汪兆銘政権」の意味・わかりやすい解説
汪兆銘政権
おうちょうめいせいけん
日中戦争中に汪兆銘を首班として日本占領地につくられた傀儡(かいらい)政権。1940年(昭和15)3月30日に南京に成立し、日本の降伏とともに消滅した。汪兆銘側は、日本との事前の交渉において日本軍の撤兵、内政不干渉など中国の主権の尊重を求めたが、日本側の強い圧力を受けて、日本軍の駐兵、中央政府への日本人顧問派遣、日本の経済的利権などを認めさせられた。重慶の国民政府との和平工作にこだわった日本政府は11月30日にようやく汪政権を承認し、同政権とのあいだに不平等な日華基本条約を結んだ。アジア太平洋戦争が勃発すると、日本は汪政権に迫ってアメリカ・イギリスに宣戦布告させ、同時に租界の返還・治外法権撤廃に関する協定に調印したが、汪政権に対する日本の支配の実質は変わらなかった。汪兆銘は1944年11月10日、名古屋で客死(かくし)し、陳公博が主席代理に就任した。日本の敗戦後、汪政権の主要な指導者たちは漢奸裁判にかけられ、その多くが死刑に処せられた。
[石島紀之]
『劉傑著『漢奸裁判』(2000・中公新書)』▽『小林英夫著『日中戦争と汪兆銘』(2003・吉川弘文館)』