ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陳公博」の意味・わかりやすい解説
陳公博
ちんこうはく
Chen Gong-bo
[没]1946.6.3. 江蘇,蘇州
中国の政治家。国民党改組派の指導者。北京大学卒業後,1921年中国共産党一全大会に広東代表として出席したが,まもなく脱党して広東軍閥陳炯明に従い,その失脚後アメリカに留学しコロンビア大学で学んだ。帰国後国民党に入党し,広東大学校長代理。 26年国民党二全大会で中央執行委員に選出され,国民革命軍総政治部政治訓練部主任を経て,27年武漢政府工人部長。国共分裂が起り武漢政府が南京政府へ合流したのち広東に去り,広東省政府民政庁長,広東省政府委員に任命されたが,広東コミューンの責任を問われてホンコンに亡命し反蒋運動を続けた。 28年以後上海で『革命評論』を発行し,改組派の指導者として宣伝活動に努めた。 29年の三全大会で党籍剥奪の処分を受けたが,31年の四全大会で中央執行委員に復活し,蒋汪合作政権の実業部長となり,36年欧米を歴訪し,帰国後汪兆銘の和平運動に参加。南京「国民政府」の立法院長となり,44年汪の病死後そのあとをうけて政府主席に就任。日本の降伏直後,日本に亡命し,米子,京都に滞在ののち,自首のため帰国し,漢奸として処刑された。
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