沖野村(読み)おきのむら

日本歴史地名大系 「沖野村」の解説

沖野村
おきのむら

[現在地名]仙台市沖野・沖野一―七丁目・若林わかばやし五丁目

飯田いいだ村の北、広瀬川左岸の宮城野みやぎの海岸平野に立地し、全体に平坦地。地味は黒色で一部泥炭層を含む。北は宮城郡霞目かすみのめ村、西は同郡小泉こいずみ村と畦畔で接する。村内を小泉村から東流した六郷ろくごう堀が沖野堀・なか堀・日辺につぺ堀と三つに分流してさらに東流している。集落西部たて地域を中心に小集落がいくつかある。縄文時代からの遺跡が砂押すなおし河原越かわらごし神柵かみさくなどにあり、近年まで条里制の遺構とされるものがあったが、土地改良事業のため消滅。中世末には広瀬川右岸を領していた国分氏の家臣粟野氏の出城が造られ、「仙台領古城書上」には沖野城とあり、四方一〇〇間とある。


沖野村
おきのむら

[現在地名]太田市沖野・宝町たからまち

西野谷にしのや村の北、かな山西南麓の沖積地に位置。北は別所べつしよ村、東は由良ゆら村、西北小金井こがねい(現新田郡新田町)など。村央を田島たじま堀が南流する。応永一一年(一四〇四)四月七日の新田庄内惣領知行分注文写(正木文書)みえる「奥村由良郷内」は当地に比定され、同一五年九月一五日の由良郷奥村地検目録(同文書)によれば御料所分として、田数七町九反半(うち不作一町六反)・畠数八町三反半(うち不作九反)、年貢三〇貫三四三文で在家一〇宇があり、「四郎二郎かき内」などとみえ、ほかに佃五反(年貢一貫五〇〇文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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