日本歴史地名大系 「沢又村」の解説 沢又村さわまたむら 栃木県:今市市沢又村[現在地名]今市市沢又今市扇状地東方の斜面、清水(しみず)川とその支流が刻む小谷地にまたがる。河内(かわち)郡に属し、北は矢野口(やのくち)村。日光街道大沢(おおさわ)宿から矢野口村へ出る道が南北に通る。西端に上沢又、東端に下沢又の集落がある。日光山往古社領六十六郷として沢又郷があり、月蓮房領(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。寛永七年(一六三〇)下総山川藩時代の検地帳(斎藤豊文書)全四冊のうち、田方二冊、畑方一冊が残る。日光領編入の時と推定される同二一年の名寄帳(同文書)によれば田一三町七反余・畑屋敷一九町二反余で、田の比率はこの地域には異例の四割を超える。 沢又村さわまたむら 茨城県:久慈郡大子町沢又村[現在地名]大子町北吉沢(きたよしざわ)八溝(やみぞ)川の支流中郷(なかごう)川の北東の吉沢(よしざわ)川の谷にあり、南は町附(まちつき)村。南部の大草(おおくさ)および下野宮(しものみや)村の駒坂(こまさか)の地について、東義久知行充行状写(「水府志料」所収)に「一、大草駒坂ニて五貫文也 右知行牢人分 天正十九年辛卯四月十四 義久(花押) 飯村弥吉殿」とあり、佐竹義久の家臣飯村弥吉譜代の地であったことを記す。「新編常陸国誌」に「旧黒沢中郷村ヨリ分レシト云フ」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「沢又村」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by